03
目を覚ました勝己の視界に最初に入り込んだのは母親である光己の顔だった。このババア、何勝手に人の部屋に入ってきとんだ――まず最初に思ったのはそれで、口と同時に手が出る母なので、咄嗟に身構えて体を起こそうとしたが、ズキンと頭が酷く傷み起きることは叶わず呻くこととなった。
「このバカツキ! 勝手に動こうとしてんじゃないよ!」
「っせぇな……ンだ、これ」
よく見れば自室ではない。薬品臭い臭いから、まさか病院かよと胸中で呟く。
「アンタ、何があったってのよ。夜中に学校の先生から連絡もらって部屋に様子見に行ったら、額ぱっくり割って血だらけのアンタがいるんだもの」
「あー……?」
確かに、少々、いや、かなり勢いよく頭突きをしてしまったかもしれない。ぶつかる瞬間、失敗したと思ったのだ。自分で自分を気絶させるなど初めてだったのだから仕方ないではないか。
「……待てや、学校から電話?」
「そーよ。相澤先生が連絡くれて、アンタの様子確認してくれって」
「はぁ? 何で――」
その時、病室のドアが開いた。入ってきたのはたった今話題に上がっていた担任の相澤消太その人で、後ろには見覚えのある男が続いている。たしか警察の塚内という名前だったか。USJが襲撃された時に一度会ったことがある。
「起きたか」
「先生、本当にありがとうございました。まったく、何だってこんなことになったんだか」
「近辺の家の様子確認もしましたが、同じような状態になっている人はいませんでしたよ」
塚内の説明に、そりゃそーだろーなと胸中で呟く。なにせこれは自滅なのだから。さて、なんと説明したものか。自滅だなんてクソ格好悪いことを言いたくはない――と、そこまで考えてふと疑問を抱く。
「なぁ、先生。何で俺の様子なんか確認したんだ」
問いかけに相澤は静かに勝己を見た。
「学校にある連絡が入った。夜中の十二時、若い女の声でお前を助けてくれってな」
思わず舌打ちする。間違いなくリサの仕業だ。
きっと勝己が額をぱっくり割って気絶している姿を見て取り乱したのだろう。放っておけば良いものを、わざわざ夜中に雄英高校へ連絡して様子確認をさせた――その結果がこれか。溜息まで漏れた。
「桜井リサ――心当たりは?」
めっちゃあるわ。つーか、アイツ。
「バカ正直に名乗ったのかよ」
「名乗らなくたって、電話番号の名義を調べれば一発さ」
勝己の呟きに塚内が反応する。もう溜息すら出なかった。
医者と看護師がやって来てバイタル測定と診察をして、勝己の意識がない間に行われた検査でも特に異常はなかったと説明を受けた。額は数針ほど縫いはしたものの、消毒をこまめにしていれば問題ないとのことだった。ほれみろ、放っときゃ良かったじゃねーか。
医者と看護師が退室すると、相澤が桜井リサのことを尋ねてくる。
「それで、彼女のことを知ってるんだな?」
「まぁ……」
「歳は?」
「十五」
「同級生か?」
頷くと同じ中学出身かと問われる。
「違ェわ。つーか、俺も名前と歳くらいしか知らねえ」
「お前の状態を知ってウチに連絡してきた。個性か?」
「あぁ」
まぁ、個性と言えば個性だ。ただ、その先はあまり言いたくはない。情けなさ過ぎる話だからだ。
診察が始まると同時に部屋を出ていた塚内が戻ってくる。その後ろから入ってきた人物を見て勝己は顔を歪めた。
「てめェ、なんで――」
「ばくっ、ばくご、くん……!」
勝己の姿を認めた途端、リサの目から大粒の涙がぼろっぼろ溢れて頬を濡らしていく。ハンカチではなくタオルを持っているのは良い判断だと褒めてやってもいい。やってもいいが、そのぐっしゃぐしゃの顔は駄目だ。
「ごめ、ごめ、なざい! わだじのっぜい、でっ!」
勝己のベッドに駆け寄り、ベッドに縋り付いてわんわん泣いている。
やめろデケェ声出すんじゃねぇ。頭に響く。その原因はリサではなく自分だ。ただの自滅だ。やめろや。何でてめェ勝手に自分が悪いと思い込んどんだ。これじゃ事情を知らねえ先生も警察もみんなてめェがやらかしたんだって思っちまうだろが。
「てめェ、何してくれとんだコラ……!」
「うああぁぁん! ごべ、ごべ、なざいぃぃ!」
「だーっ! ッるせェんだよ!! 頭に響くだろうが!! 〜〜〜っ!!」
堪えきれず怒鳴り付けたせいで更に頭が割れるように痛い。
ズキズキガンガンと痛むのを必死に堪えていると、リサはタオルを口に押し当ててくぐもった泣き声へと変えた。コイツそれで声抑えてるつもりか。
「あー……それで、二人の関係は? 恋人か?」
「ンなワケねェだろが!! 頭湧いとんのか!!」
「先生に失礼な口叩くな!」
相澤の問いかけに思わず怒鳴り付けて、母から拳を頂戴する。頭に傷を負ったからとボディに食らわせてくるあたりが母だ。殴らないという選択肢はないらしい。
「お母さん、一応怪我人ですから……」
「いいんですよ! 言っても分かんないんだから!」
「こ、ンの、クソババァ……!」
一連のやり取りを見たリサが固まっている。教師に怒鳴りつける勝己も、ボディにパンチを食らわせる勝己の母もリサからすれば衝撃だったのだろう。ついでに、驚いたおかげで涙が止まったようだ。
「……オイ、どこまで話した」
問いかけにリサはぱちぱちと目を瞬いてからふるふると首を振った。
「君のことが心配で堪らなかったみたいでね。何を聞いても自分のせいだの一点張りで、ずっと君に謝ってて話が聞けない状態だったんだ。だから、目を覚ました君と会えば落ち着くだろうと思ってね。……ちょっと思ってたのと違う落ち着き方だったけど、まぁ結果オーライだ」
笑う塚内をじとりと見る。それからすぐそこのリサへと視線を戻した。現実では初めて会うことになる、のだが。
「…………オイ、何隠してんだ」
「……みないでください」
タオルで顔を隠したリサがぼそぼそと声を返す。
「何で今更隠してんだ」
「だ、だって、どういう顔だったか分かんないもん……!」
「なんだそりゃ。とっとと面見せろ」
「む、無理です!」
「あァ!? っつ、」
「あああ爆豪君! だ、だいじょ――あぁっ」
タオルで顔を隠して勝己から距離を取って、頑なに顔を見せることを拒むリサに苛ついていつものように声を荒げれば痛む頭。思わず息を詰めると、リサが慌ててベッドに駆け寄ってくる。チャンスだ。タオルを奪い取ればリサから情けない声が出た。
「ハッ、ンだよ、やっぱなんも変わって――オイコラ」
なんも変わってねぇじゃねぇか――そう言ってやろうとした勝己だったが、リサの目の下の濃い隈を見て苛立ちが募る。漏れ出た低い声にリサがびくりと体を震わせた。
「ひっ」
「てめェ、ンだその大層な隈は。昨日も一昨日もなかっただろうが」
「え、ほんと……? 良かった……」
「なァにが良かったんだ? あァ!? まさか眠るのが怖かったんですとか言う気かクソが!」
頭の痛みなど構ってる場合ではない。初めて現実で会ったリサの目の下には濃い隈。よく見れば肌艶も悪く、夢で会った時より痩せこけている。夢だから取り繕ってたってか。ふざけんなクソが。
「だ、だって……薬に耐性ができてきちゃってて、夜中に目が覚めちゃ――ひっ」
「薬だァ……!?」
「ひゃうぅ……っ、ご、ごめんなさいごめんなさいっ! だって飲まないと寝るの怖くて……っ」
「言い訳言ってんじゃねェ! よくそんな状態になってまで個性から目ェ逸らし続けやがったな! どんだけビビリなんだよ!!」
「だ、だって……」
「だってもクソもねェわ!!」
手のひらの上でボンボンと小さな爆破を繰り返す勝己から己を守るように頭を抱えて蹲るリサ。ガタガタブルブルと震える姿を見ていると、人間ではなく小動物か何かなのではないかと思ってしまう。
舌打ちをして怒鳴るのを止めると、おそるおそる顔を上げたリサが勝己の左の手首をそっと掴んだ。何してんだ。そう言おうとしたが、リサの意図が分かって口を噤む。
手のひらに薄っすら残る赤い線。リサの顔がくしゃりと歪んだ。
「ほ、ほらぁ……やっぱり残ってる」
「こんなの掠り傷だわ」
「掠ってなかった! しっかり傷だった! だからガーゼも包帯もしようとしたのにっ」
「あんだけ消毒まみれにしたら十分だわ! 大体、ガーゼも包帯もまともにできてなかっただろが!」
「はーい、ストップ!」
勝己とリサの言い合いを止めたのは塚内だった。ハッとして大人達を見れば、相澤は呆れたような顔、塚内も困ったように笑い、母に至ってはニヤニヤ笑いながらこちらを見ていた。目は口ほどにものを言う。黙れうざってぇ。
「仲が良いのは分かったから、こっちも話に混ぜてもらって良いかい?」
「仲良くねェ!」
「爆豪はもう黙りなさい」
相澤が捕縛布で勝己の口を塞ぐ。むぐぐ。唸る勝己を見て、相澤を見て。リサがハッとした顔で呟いた。
「爆豪君に虐められたらあの人に助けてもらえばいいんだ……!」
がしり。口は塞がっているが、拘束されていない自由な勝己の左手はリサの頭をしっかりと鷲掴んだ。
「ひぎゃっ、ご、ごめんなさいごめんなさい! うそです! 虐められてません気合い入れてもらっただけですうぅ!」
パッと離れた手から出来る限り遠ざかろうとするリサ。壁際まで後退して縮こまるリサは、やはり夢で見たより痩せこけている。舌打ちしようとするが捕縛布に口を塞がれて叶わない。クソが。
「桜井リサさん」
「は、はい……」
「まず、どうして彼が怪我をしていたことを知っていたのか、教えてもらえるかい?」
「それは、その」
戸惑うリサに塚内は続ける。
「『夢渡り』」
「、」
「君の個性だよね。調べさせてもらったよ。相手と夢を共有する個性――合ってるかい?」
「……、」
何かを言おうと口を開きかけたリサだが、声が出ることはない。出さないのか、出せないのか。声を発することを諦めて口を閉じたリサは、ちらりと勝己を見て顔を俯かせてしまった。顔を見合わせる塚内と相澤。ばふばふ。布団を叩くと勝己を見た相澤が溜息と共に捕縛布を外してくれた。
「相手と夢を共有する個性じゃねえ。――相手を、強制的に夢へ引きずり込む個性だ」
塚内と相澤の表情が強張ったのが分かった。ちらりと横目で見たリサは顔を俯かせていて顔は分からない。床にしゃがみ込んでるリサに「オイ」と呼びかけると、顔を俯かせたままノロノロとこちらへやって来たリサにタオルを投げて返す。それからベッドに腰掛けるように言った。
「ぇ……?」
「隅っこで埃被ってんじゃねえよ。てめェの話してんだろうが」
「……はい」
勝己の腰の辺りにちょこんと腰掛けたリサは、それでも顔を上げることはしない。塚内と相澤に背を向けて、勝己にまで背を向けて。唇を噛みしめてタオルを握りしめて。かすかに震えているように見えるのはきっと気のせいではないのだろう。
「金曜日の夜、部屋で課題をやってたはずなのに突然知らねえ場所に立ってた。寝落ちなんざしちゃいねぇ。扉も明かりもない薄暗い部屋で、俺とこいつだけがそこにいた」
「……もともと面識はあったのか?」
首を振ると相澤が息を呑んだ。リサの個性の規格外さに気付いたからだろう。
「……離れた場所にいる、面識のない相手でも強制的に夢の中へ呼び寄せることができる」
「っ、それは……凄いな」
相澤と塚内の声には緊張が走っていた。リサの体がどんどん小さく見えてくる。空いている左手でリサの手首を掴むと、びくりと身を震わせたリサがおそるおそる勝己を見た。情けない面。濃い隈。ひび割れた唇が震えている。泣きすぎて腫れた目。真っ赤な鼻。紛うことなきブスである。
それでもそれを口にしないのは、ただでさえ今にも自殺してしまいそうなリサに追い打ちをかけるべきではないと分かっていたから。ほんの少しのきっかけで自殺してしまいそうな危うさが現実のリサにはあった。
「どうして爆豪を?」
「…………うたた寝、する前に……雄英の体育祭の録画を見てて……」
「個性から目を逸らし続けた――さっき爆豪がそう言っていたな。君は、自分の個性が嫌いか?」
相澤の問いかけにリサは小さく一度頷いた。
「小さい頃、個性が発現して……友達を夢に呼んじゃったんです。次の日、二人とも同じ夢を見てたんだって分かって……そ、れで、」
言葉を切ったリサの体が震えている。幼い頃から抱えてきたトラウマをそう何度も口にするのは難しいのだろう。貧弱な奴だと呆れながらも勝己は助け舟を出してやることにした。
「自分の個性は気持ち悪くて嫌なものだから、それっきり一度も使わなかった。だからこいつは自分の個性のことを把握できてない」
「じゃあ、今回が二度目の発動だったってことか?」
「自分の個性がどういう風に作用すんのかも分かんねェ、解除の仕方も分かんねェ。そんなら検証してくしかねえ。実際、コイツを気絶させたら解除された」
「彼女の首の痕は君が?」
ほんの薄っすらと残った手の痕。舌打ちしながらそっぽを向くと再度母からのパンチが飛んできた。こればかりは勝己自身も少しばかり反省はしているつもりなので、腹は立ったが怒鳴り返すことはしなかった。
「それで、どうして土曜日も?」
「俺が呼べっつったんだよ。危なっかしい個性を放っとく方が怖ェだろ。検証のためだ」
「警察に任せるべきだった」
ぴしゃりと言う相澤を見る。苦い顔の相澤に勝己は言った。
「俺が助けるって決めたんだよ」
勝手に諦めていたこの馬鹿女。おまけに助けを求めることすらしようとしない。ふざけんな。俺はヒーローになるんだよ。
「警察にチクってハイサヨナラなんてしねえよ、ヒーローは」
だから。掴んだままのリサの腕を引く。痩せこけた体は踏ん張る力などなく、あっさり勝己の方へと倒れ込んだ。ひっどい隈のあるブスな顔がぽかんと勝己を見ている。
「だから、てめェは俺に助けを求めろ」
これから先もずっと。
こんなブスで馬鹿でアホンダラで助けの求め方すら分かってねぇ奴は、俺がヨユーで助け殺したる。
ぐしゃりと顔を歪めてますますブスになったリサが、勝己に縋り付いてひぐえぐと泣きじゃくる。
「泣いてんじゃねぇバーカ、ブース」
「ひぐっ、ばくご、ぐん、いじめっごおぉ」
「ヒーローだっつってンだろが」
ベシン。頭を叩くと顔を上げたリサがブスな顔をそのままに、くしゃりと笑った。やっぱりブスで馬鹿だから笑い方も下手くそだと勝己は思った。
「…………それで、その怪我は検証の一巻か?」
勝己の額を指した相澤の声は明らかに呆れを含んでいる。
「ぐ……っ」
「わ、私が気絶したら解除されたから、自分が気絶したらどうなるか検証だって壁に思いきり頭突きしました……!」
「ッるせェ! てめェ黙ってろ!」
「はー、なにそれダッサ! 笑える!」
「るッせェクソババァ!! とっとと帰れ!!」
***
雄英高校の会議室には教師陣と警察である塚内が集まっていた。
相澤と塚内からの報告を受けた面々は誰もが難しい顔をしている。
「……それが本当なら、とんでもなく危険な個性だ」
「危険な個性に加えて精神状況も不安定……そんな相手を一生徒に任せて良いものではないでしょう」
「公立高校の普通科に在籍しているのでしょう? 警察に保護してもらった方が良いのでは?」
「――校長、どう思いますか?」
相澤の問いかけに校長の根津はズズッとコーヒーを啜った。
「僕としては、生徒の自主性は可能な限り尊重してあげたいのさ。ただ、今の状況で彼女を野放しにしておくのが怖いのも事実」
「えぇ、同感です。ですが、言って聞くような爆豪ではない。それに、彼女の方も現時点では爆豪にしか心を開いていない。そこで提案なのですが――」
相澤の提案に会議室は俄に騒ぎ立った。口々に危険だと相澤の提案に反対の意を示す教師達の中で、オールマイトこと八木俊典は感心したように頷いた。
「私は相澤先生の意見に賛成だよ。敵がどう出るか分からない以上、可能な限りここで匿ってしまった方が助けやすくていい」
「そうだね。僕もその意見に賛成さ。先生達には苦労をかけてしまうかもしれないが、どうかよろしく頼むよ」
オールマイトと根津校長の言葉に、反対していた教師達も腹を括る。
「では、転校の手続きを進めましょう。桜井リサを――雄英高校1年A組ヒーロー科へ」