それは突然のことだった。
いつものように学校へ行って、ふわふわと頭上に漂うボスから生命を脅かされ(精神的な意味で)、家に帰ってご飯を食べて風呂に入って。
忘れていた宿題に手をつけ始めた現在、唐突にそれは私の頭に触れた。
「あの……ボス?」
「……………」
返事はない。でも分かる、ボスも驚いている。
私の後頭部に触れた大きな手が離れて、また触れて、また離れて。
「………何しやがった」
「いえ、私は何も」
宿題を始めようとしていただけだ。何もおかしなことはなかった。
昨日だって、一昨日だって同じ行動を繰り返していたはずだ。
それなのに、どうして。
勢いよく振り返って、自身の手をじっと見つめるボスへと手を伸ばす。引っ込められると思った手はそのままで、ボスの顔を覗き込みながらおそるおそる触れてみた。感触が、ある。
「……さ、われます、ね」
「………」
「えーと……もしかして………幽霊じゃなくなった、とか……?」
言い終わらない内にボスが扉へと向かう。ドアを蹴破ろうとでもしたのだろうか、容赦なくドアを蹴り上げた足は、けれどドアを貫通してしまった。………あれ?
「ど、どうして?」
不機嫌を露に舌打ちをしたボスがこっちを振り返って、ズンズンと向かってくる。怖い。怖いですその顔。さすがマフィアです怖いです。伸びてきた手が私の頬に触れた。
「あれ……? 触れ――ひいぃららららっ!!」
頬に触れていた手に容赦ない力で頬を抓られた。痛い。痛い。とんでもない。どうしようもなく痛い。涙を滲ませた私をどうでも良さそうに見下ろして、今度は私の机へと手を伸ばした。机の上に広げられたノートを取ろうとして、また空振る。触れない。
「……わ、私だけ……?」
「…………」
むっつりと黙り込んだボスを見るのが怖い。どうしよう、この人すっごい怒ってる……!!
で、でも私の所為じゃないし!
「き、きっとほら! もう少し経てば他の物にも触れるように――」
「ドカス」
「はい!」
あ、思わず返事しちゃった。私カスじゃないのに。
「下行くぞ」
「へ? あ、はぁ……」
え、何しに?なんて考えてる暇はない。
早くしないと。だって、考えてみたらほら。恐ろしいじゃない。
ボスが、私に触れる。
それはつまり、あの恐ろしい銃弾が私に当たるかもしれないってことで。
ついさっきドアを蹴り開けようとしたあの足が、私に飛んでくるかもしれないってことで。
「………!!」
あれ、私やばいんじゃね?
なんて考えてる間に階段を下りてリビングへ入る。テレビを見ながら食器を洗っていたお母さんの視線が、青褪める私の方を見た。私の背後に立つボスの姿も見えてるんだろうか。
「あらやだ」
「!!」
み、見えてるの!?
まさか見えるようになったの!?
動揺する私なんかお構いなしに、ボスは私を押し退けるとズンズンとお母さんの方へ向かう。に、逃げておかーさん!!
咄嗟に叫びそうになるのを必死に堪えて、ボスの手がお母さんに伸びるのをじっと見つめた。……何か嫌な光景だな。
結果から言うと、ボスの手はお母さんに触れることは出来なかった。
お母さんもボスの姿が見えていなかったみたいで、さっきの声は真っ青な顔の私を見て驚いただけだったらしい。顰め面のボスが何度もお母さんを殴りつけようとしてたけど、やっぱり触ることは出来なかった。
「くだらねぇ」
部屋に戻ってくるなりボスはそう言ってベッドに横になってしまった。あれだ、不貞寝だ。乾いた笑いしか出せない私は、これまで以上に危険になった事をひしひしと感じながら、極力音を立てないようにと机に向かうのだった。
え、あれ?ちょっと、幽霊さん?
「あの……痛い、です」
貴方ベッドで寝てたんじゃないんですか。
何故私の頭を鷲掴んでるんですか。ミシミシいってますちょ、痛いですうううぅぅ!!!
「………触れるな」
「そ、のようです、ね」
「――試してみるか」
「へ? ――って、ちょおおぉぉぉっ!!!」
頭が解放されて振り返れば、目の前にはごつい銃。
ちょ、え、えええええぇぇぇ!!?
「ボボボボボス!!! 死ぬ! 死ぬ!!」
「死ね」
ドンッ。
「――ちっ、やはりダメか」
冷たい何かが頭を突き抜けると同時に椅子から転げ落ちた私と、冷静に銃を見下ろすボス。
ダメだって分かってたのにやるんですか。しかもどうして頭直撃なんですか。もしダメじゃなかったら私本当に死んでましたよ。
言いたいことはたくさんあったけど、命の危機に直面した私の意識は、ボスがこの部屋に現れた夜のようにぶっ飛んでしまっていた。