09


「とっとと起きろドカス」

静かな、けれど怒りの篭った声と、痛いくらいに鼓膜を刺激する強烈な音。一瞬後に感じる痛いほどに冷たい何かが身体を突き抜ける感覚。

目覚めは最悪だった。

「お、はようございます……」

耳を押さえながら起き上がれば、相変わらず土足のままの(まぁ幽霊だから良いんだけど)幽霊さんの足がそこにあった。

出来ればもっと優しく起こしてくださいませんか。
心の内でそんなことを思いながら立ち上がり、時計を確認した私は思わず間抜けな声を上げた。

「うええぇぇ!?」
「るせぇ」
「だ、だって……まだ朝の五時………」

おかしいな、寝たの二時過ぎてた気がしたんだけど……。
というか、この人何でもう起きてんの?

「とっととパソコン開け」
「………マジか」
「あ?」
「はい、ただいま!」

即座にパソコンの電源を入れて、欠伸を一つ。嫌味じゃないです。勝手に出るんです。睨まないでください。
起動されたパソコンの真ん前には、昨夜(ほんの三時間前だけどね!)と同じように幽霊さんがふんぞり返っている。
その隣に膝立ちになった私は、幽霊さんに重ならないように気を付けながらマウスを弄ってネットを立ち上げた。

あのですね、
あ?
膝が痛いです。昨日もずっと膝立ちだったし……
おい、これ開け

ス、スルーしやがった……!この幽霊さらっとスルーしやがった!
悲しいかな、怒りよりも諦めの方が大きい私は何も言わずに幽霊さんの指示通りクリックした。
そう言えば、カーテン閉まったままだ。電気もついてないし、目が悪くなっちゃうよね。
そっと立ち上がってカーテンを開ければ、即座に「閉めろ」という声が飛んできた。画面に反射して眩しいらしい。

「すみません、でも電気はつけますね。目が悪くなっちゃうと嫌だし……」
「好きにしろ。おい、とっとと次を開け」
「あ、はい」

お許しの言葉を頂いたので電気をつけて、その後すぐに続いた言葉に慌てて幽霊さんのところへと戻る。トップページに戻って新たなニュースをクリックすれば、ボスの真っ赤な目は何語かすら分からない文字で書かれたニュース(多分イタリア語だと思う)を物凄い速さで読み進めていった。

数時間前と同じような作業を続けて三十分ほど経った頃だろうか。
ニュースを読み終わったボスは、けれど次のニュースを開けとは言わず目を閉じてしまった。

「、あの……?」

終わりだろうか?
瞑想しているのか眠っているのか定かではない幽霊さんに呼びかけてみるけど、返事はない。どうしよう、何か動きづらい。あ、幽霊さん睫毛長いなぁ。こうして見るとやっぱり整ってるなぁ。怖いけど。
たっぷり数分かけて瞑想だか仮眠だかを続けた幽霊さんは、徐に目を開けるとパソコンの画面を睨み付けるように目を眇めた。それから舌打ちを一つ零してゆっくりと立ち上がる。
窓に向かった幽霊さんを視線で追うと、窓の前で立ち止まった幽霊さんに「開けろ」と命令された。カーテンだろうか。

「あ、はい」

慌てて立ち上がりカーテンを開ければ(何か従者みたいだ)窓も開けろと命令される。言われるままに窓を開ければ、早朝特有の清々しい空気が部屋の中に入り込んできた。
無意識に深呼吸をして肺いっぱいに清々しい空気を取り込んでいた私は、黙ったまま窓の外を睨み付ける幽霊さんに気付いて窺うように覗き込んだ。

「あの……どうかしたんですか?」
「………」

返事はない。けど、何となく……深刻な状況なのだろうということは察した。表情が違う気がする。
よく分かんないけど、幽霊さんには幽霊さんの事情があるのだろう。この世に残ってるということは何かしら思い残したことがあるという事だ。多分。

「あの……私に出来ることがあったら、言ってくださいね」

ボスの赤い目がチラリと私を見た。無感動なその目に恐怖を覚えて僅かに身を揺らせば、気付いたボスが嘲るように鼻を鳴らす。

「テメェに何が出来る」
「う……」

それを言われると言い返せない。だって私は幽霊の事情なんて何も知らないんだから。どうして死んだのか、とか、どうしてイタリアにいたはずのボスが日本で幽霊やってるのか、とか。

「ボスはイタリアに住んでたんですよね? 日本には来たことあったんですか?」
「聞いてどうする」
「いや……ちょっとくらい、現状打破出来ないかなーと………」
「テメェごときに出来るとでも思ってんのか?」

何この幽霊さっきから辛辣過ぎて泣きたい。
現状打破。この幽霊を成仏させるなり、最悪私から離れさせる為には、まずこの幽霊さんのことを知ることからかなー……とか思って話しかけた私のライフはもう赤ゲージです。無双秘奥義ぶっ放すぞコノヤロー。

「面白ぇ。やれるもんならやってみろ」
「心を読まないでください、お願いしますから」

何なら土下座もしますから
テメェの汚ぇ土下座なんか見たって面白くも何ともねぇ

話が進まない。そして私のライフはもうゼロだ。諦めよう。

「私、朝ごはん食べてきます」

相変わらず窓の外を見たままのボスに断って扉に向かう。ノブに手をかけた所でボスに呼び止められた。
振り返れば、窓の外から射し込む光を受けて佇むボスの後ろ姿。足はちゃんとあるし、羽織ってる真っ黒なコートも真っ黒な髪も手も、何もかもハッキリ見えている。けど、この人は幽霊なんだ。何だか奇妙な感じだった。

「総理の名は?」
「は?」
「テメェの国の総理の名前を答えろっつってんだ」

そんなの知ってるに決まってるじゃないか。昨日だってボスが日本のニュースを読んでた時に散々出てきた名前だ。自信を持って答えれば、ボスはただ一言「違ぇ」とだけ呟いた。

「は?」
「俺がイタリアにいた時、ジャッポーネの総理はそんな名前じゃなかった」
「……えーと………つまり、死んでから大分時間が経ってる、ってことですか……?」
「ドカス。何の為にジャッポーネの歴代総理の名前を調べさせたと思ってる」
「………?」

確かに今日一番最初に開いたのは日本歴代総理の一覧ページだ。ボスがそれを睨むように見ていたのは覚えてる。

「俺が知ってる名前はそこにはなかった」
「………覚え間違いとか……」
「かっ消すぞ」
「う、嘘です嘘です!」

そんなはずない。だって、昨日と今日で嫌という程分かったじゃないか。この幽霊はとんでもなく頭が良い。覚え間違いなんてことがあるとは思えない。

「でも……そんなこと、ないですよね?」
「どうだかな」

それきり黙り込んだボス。ぎゅるるとお腹が空腹を訴えるまで、私はその場に立ち尽くすことしか出来なかった。




幽霊さん、朝ごはん食べてきて良いですか?




朝ごはんを食べ終えて部屋に戻って来ると、ボスの姿はそこにはなかった。何処かに行ったのだろうか、それとも成仏したのだろうか。私から離れることが出来たのだろうか。

「あ、パソコン……」

そろそろ学校の用意をしなければ。
パソコンをシャットダウンさせ、制服に着替えるためにパジャマのボタンに手をかけた。

「貧相な身体だな、同情するぜ」

言葉とは裏腹に嘲るような声が聞こえてくる。驚いて顔を上げれば、パソコンのすぐ上辺りの壁をすり抜けてボスが戻って来たところだった。
真っ赤な目は真っ直ぐ私を見下ろしていて、口元は嘲るように歪んでいる。
わ、私、上下とも下着のままだ……!

「っ、ぎゃああああぁぁぁぁぁっ!!」
「るせぇ!!」

ドンッ!ドンッ!ドンッ!ドンッ!
四発の銃弾が私の眉間に撃ち込まれた。い、痛い。それよりも恥ずかしい。

「で、出てってください! 着替え中ですよバカッ!!」
「あ?」

テメェ今何つった?
そんな言葉が言外に聞こえてきた気がするけど、それどころじゃない。
蹲ったまま背を向けた私は慌ててキャミソールを着てシャツを羽織った。顔が熱い。なのに後頭部が冷たい。

「かっ消す」

二度目の悲鳴は至近距離で撃ち込まれた銃声に掻き消された。