28


気が付いたら森の中にいた。いつもの事だ。
いつものように作兵衛が迎えに来てくれて、けれど今日はリサが一緒で。
異世界人。化物に変身出来るなんて噂されている南蛮人のような見た目の謎の女性。ここいらでは決して見ることの出来ない顔立ちの所為か、半助もきり丸も、六年生達までもが彼女に心を奪われている。

”いいか! 近付くなよ! 絶対だぞ!”

そんな彼女を警戒して口を酸っぱくして言っていたのは作兵衛だというのに、その作兵衛がリサと手を繋いで迎えに来た。いつもは走り回って疲れきった顔で漸く見つけてくれるのに今日は違った。リサが見つけてくれたのだと言う。どうやってと尋ねても内緒と言われた。不思議な人だ。

同じように左門を見つけて。不思議な人だと三之助は思った。
噂ほど怖い人ではないのだと知って、何だ普通ではないかと思って。三之助が所属する体育委員会の委員長、七松小平太が彼女を受け入れたのも分かるような気がした。

だから、ただの確認のようなものだったのだ。
噂は嘘なのだと。まったくのデタラメであって、彼女は皆が思うような恐ろしい人ではないのだと。委員会の先輩である平滝夜叉丸や、後輩の時友四郎兵衛にも教えてやろうとそう思って尋ねただけだった。

”化物に変身出来るんですか?”
”出来るよ”

返ってきた答えは想像だにしていなかったもので、思わず素っ頓狂な声が漏れた。
見たいとせがむ左門の頭を撫でながら「見ない方がいいよ」と答えるリサの顔は見えなくて。三之助は尋ねてしまったことを少しだけ後悔した。
隣を歩く作兵衛も何も言わない。時折、左門がリサに何かを尋ねて、それにリサが答えて。和やかな空気が漂っていたのに三之助の心中は決して和やかとは言えなかった。作兵衛の心中もおそらく自分のそれと同じだったのだろう。

「リサさん……!」

学園の門の前には半助が立っていた。隣には入門表を手にした小松田と、五年い組の実技担当である木下鉄丸が並んでいる。

「土井先生、ただいま帰りました」

半助の前に立ち、ぺこりと頭を下げるリサ。小松田が作兵衛に入門表を渡し、三之助と左門には「出門表にもサインしてね!」と出門表を突き出してくる。受け取った左門が先に出門表に名前を書く間、三之助は半助と木下を盗み見た。本来ならばこの場にいないはずの二人だ。サインを求める小松田だけで良いはずなのに、二人がここにいる理由。
リサを見つめる半助はどこからどう見ても困り果てたような様子で、無言のままの木下はいつもと変わらず怖い顔。普段から怒っているのかいないのか分かりにくい人だけれど、今はどちらなのだろうか。リサに向ける眼差しが険しく見えるのは気のせいなのだろうか――答えはすぐに知る所となった。

「すみません、言いつけを破って外に出てしまいました」
「え?」

声を上げたのは作兵衛だ。けれどリサは作兵衛を見ない。半助を見つめたままだ。

「はい、次屋君もよろしくね」

小松田に言われるまま出門表にサインをして、入門表にもサインをして。
三之助もリサを見たけれど、その横顔はまっすぐ半助を見つめたままこちらに向くことはない。自分達が見ていることに気付いているであろうことは明白で、それなのに視線を向けてはくれない。

もしかして、彼女はまずいことをしてしまったのではないだろうか。
三之助と左門を探す作兵衛を手伝う為とはいえ、学園の敷地外に出てはいけなかったのではないだろうか。
同じことを考えたであろう作兵衛の青褪めた横顔を見て三之助は頭を掻いた。左門はといえばリサと半助と作兵衛とを順番に見て首を傾げている。への字に曲がった口元を見るに、彼もこの状況がよろしくないと理解しているのだろう。
立ち尽くす三之助達に木下が言った。

「お前達は中へ入れ」
「ま、待ってください!」

その指示に真っ先に声を上げたのは作兵衛だ。
けれど木下の考えは変わらない。

「今すぐにだ」

木下の厳しい声と視線に肩が揺れる。木下は作兵衛の反論を許さなかった。三之助と左門が加勢したところで何も変わりはしないのだろう。無意識に半助に視線を向けると、僅かに眉を下げた半助が言った。行きなさい。木下よりは幾分か柔らかい声音だったけれど内容は同じだ。作兵衛や三之助達の介入を許してはいない。

「作兵衛、行こう」

三之助が作兵衛の腕を引っ張ると、作兵衛が青褪めた顔を三之助に向けた。そしてすぐにまたリサへと視線を戻す。リサは作兵衛を見なかった。同じだ。木下と半助同様、リサもまた作兵衛達の介入を許してはいない。
青褪めたままの作兵衛が俯いて唇を噛んだのが見えた。小さく頷いた作兵衛が手の中の迷子ひもを強く握りしめて歩き出すと三之助と左門も後に続く。誰も何も言わなかった。

「許可なしで学園の外に出ないと、そう誓ったはずだ」

木下の厳しい声を背後に聞きながら、三之助は俯いたままの作兵衛の背中をそっと撫でた。




半助は困惑していた。
厳しい声をリサに向ける木下の視線も厳しい。当然だ。約束を破ったのはリサなのだから。

許可なしで学園の敷地外には出ない――事務員として雇われることになった時に学園長と交わした約束だ。六年生の鍛錬に付き合う時に限っては六年生の付き添いのもと敷地の外へ出ることを許可されたが、それさえも裏山、裏裏山以外の場所へ行ってはならない、許可をもらって敷地の外に出る際も六年生か教師の付き添いが必要だという制約がある。リサはそれらを全て承諾してこの学園に身を置いているのだ。

珍しく時間が空いたから、文字を教えてやろうとリサを探していた時に小松田から聞いた。リサは富松作兵衛と共に外出したと。誰かの許可を得たのかと尋ねたが、それに対して小松田は分からないと首を傾げただけだった。
敷地の外へ出た彼女の付き添いは三年生が一人だけ。何故、どうして。これまで破ったことなど一度もなかったのに。すぐに学園長へ報告に向かい、五年生の実習の報告に訪れていた木下と共にリサ達の帰りを待つこととなった。

帰ってきたリサは作兵衛と二人ではなかった。
作兵衛の傍らには方向音痴ですぐにいなくなってしまう友人が二人。あぁ、彼らを探しに行っていたのかと理解した。木下にも分かったのだろう。ぐっと眉を寄せた彼から漏れた舌打ちは、嫌な役目を引き受けてしまったことに対するものだったと思う。

生徒達を帰して、小松田にも門の中に戻るように告げて。木下がリサに言った。

「許可なしで学園の外に出ないと、そう誓ったはずだ」
「はい」

まっすぐに木下を見つめるリサの目に後悔の色はない。
生徒達を探しに行っていたのは見るに明らかで、けれど、だからこそ思う。どうして許可を取りに来てくれなかったのかと。ほんの少し遠回りして、職員室に寄れば良かっただけの話だというのに。

「申し開きがあれば聞いてやる」
「雨が降りそうだったので」
「何?」

空を指してリサが言う。雨が降りそうだった。これから大雨が来る。見上げた空には確かに雲が広がっていて、けれど大雨が降るほどには見えない。木下が溜息をついた。

「もっとマシなことを言え」
「あの子を一人で行かせたら雨が降るまでに学園に戻って来れないと判断したので、一緒に迎えに行きました」

また溜息。木下が口を開いたその時、どこからかゴロゴロと大きな音が響き渡った。空だ。見上げると、ついっさきまでは何ともなかった空を灰色の分厚い雲が覆っている。まるで「これから凄いのやるよ!」と言わんばかりに鳴り響く雷に目を丸くし、木下と顔を見合わせてからリサを見た。リサが苦く笑った。

「何となく分かるんです。昔から訓練してたので」

ぽつぽつと降りだした雨が顔に当たる。中に入りましょうと言った半助に木下が異を唱えることはなかった。
雨はあっという間に土砂降りになった。生徒達が喚きながら慌てて長屋へ戻ろうとする声が聞こえてくる。

「この雨では、暫く外に出れませんね」

職員室の格子窓から外を眺めつつ零した半助は、タオルをリサに差し出した。礼の言葉と共にタオルを受け取ったリサが濡れた顔や髪を拭うのを尻目に木下と顔を見合わせる。木下も決めかねているのだろう。もしこの大雨を彼女が予測していたのなら、彼女の行動は概ね正しかったと言えるからだ。

「雨が止んだらまずは学園の整備からだな。綾部の奴が掘った落とし穴や蛸壺を埋めなければ」
「そうですね……では、用具委員会にも声をかけておきましょうか」

掘り起こした土が大量の雨水で酷いことになっているはずだ。二次災害を防ぐ為に雨が止んだらすぐに穴を塞いでしまわなければ。生徒達――主に保健委員達だ――の安否に関わる。
そんなやり取りをしていると、くいくいと装束を引っ張られる感覚。リサが困ったような顔で半助の袖を引いていた。

「どうしました?」
「あの……それ、終わってます」

口元に手を当てて、ひそひそ話。けれどすぐそこにいる木下にもばっちり聞こえている。

「終わっているだと?」

木下に睨まれてリサがさっと半助の後ろに隠れた。そしてそのままごめんなさいと小さな謝罪。

「大雨になると思ったので……か、勝手に、埋めてしまいました……」

だって危ないと思ったし。大雨の時は埋めるんだって小松田君が言ってたし。
ぼそぼそと呟くリサに思わず笑い、半助は木下を見た。

「だそうです」
「はぁ……」

大きな大きな溜息をついて。ガシガシと頭を掻いた木下が顰め面。

「次からは必ず許可を取るように。――働きに免じて、今日のところは目を瞑ってやる」

いいか、今日だけだ。次は何らかの処罰があると思え。どんな理由があろうともだ。顰め面で続けた木下が学園長へ報告に行ってくると出口へ向かう。

「…………よくやった」

小さな小さな褒め言葉を残して木下は去って行った。二人きりの職員室に広がる沈黙。
ぽかんと戸口を見ていたリサが、ちらりと半助に視線を向けて。もう一度ひそひそ話。

「見た目ほど怖くないんですね」
「それ言ったら怒られますよ」

それこそ、見た目のように。
やば、と口を覆ったリサが戸口を見て、けれど木下が戻ってくることはなくて。へらりと安心しきった顔で笑うリサに半助も笑みを零した。

「雨が降るまでに見つかって良かったですね」
「あぁ……うん、ほら、あの……」
「”訓練したから”――ですか?」

眉を下げて情けなく笑うことで肯定するリサに半助も苦笑を返す。聞きたいことはたくさんあるけれど、彼女がそれを望んでいないのであれば聞かなくても良いか、なんて思ってしまう自分は忍者失格だろうか。

「ありがとう」
「え?」
「君のおかげで彼らが無事に帰ってこれた」
「あぁ……別に、大したことは――」
「いいや。君は、彼らの生命の恩人だ」

何かを言いかけて、口を閉じて。リサが情けない顔で半助を見た。

「……おおげさ、ですよ」
「君が穴を埋めてくれたおかげで二次災害も防げる。大袈裟なんかじゃないさ」

大袈裟なんかじゃない。これほどの大雨だ。彼らが森の中を彷徨っていたままだったら生命を落としていた可能性だって十分ある。作兵衛と三之助と左門の三人を探すべく、教師や六年生達が雨の中を走ることになっていた。雨の後に穴を埋める作業に時間を取られていた。本来ならば。

「君が救ったんだ。自信を持ちなさい」
「…………土井せんせーは、すごいですね」
「だから、凄いのは私ではなくて――」
「いつも助けてくれるんですよ」

初めて会った時から、ずっと。
生命を助けられたあの時からずっと助けられっ放しだとリサが言う。
泣きそうな顔で、擽ったそうな顔で。嬉しそうで、悲しそうで、幸せそうで。

「お互い様ですよ」

すぐそこにある華奢な肩を軽く叩く。気持ちを入れ替えようと半助は殊更に明るい声を出した。

「あとで富松作兵衛のところに顔を出してやってください。きっと気にしているでしょうから」
「はーい」
「それからきり丸のところにも。この雨ですから、きっと心配していますよ」
「今すぐ行って来ます!」

言うなりリサの姿が消えた。
廊下から聞こえる大きな足音にくすりと笑みを零して窓の外を見ると、あんなにも土砂降りだったというのにもう雲間から陽の光が射し込んでいるのが見えた。突然の雨は突然終わってしまった。不思議な天気だ。そんな天候さえも読んでしまうリサも、不思議だ。

「――しまった! 洗濯物、干しっぱなしだった!!」

明日からリサに天気の読み取り方を教えてもらおう。習得出来るのなら是非とも習得したい。いや、してみせる。
泥だらけの洗濯物に肩を落としながら半助は決意するのだった。