異世界からやって来たという新しい事務員。ここ最近の生徒達の話題は専ら彼女だ。
土井先生ときり丸と一緒に住んでいたとか、もう既に一年は組を手懐けただとか。あの個性的過ぎる六年生達をも手懐けた――クラスメイトがすぐそこで話しているのを聞きながら、五年ろ組の鉢屋三郎は鼻を鳴らした。
「みんな同じ話してるね」
「あぁ、雷蔵か」
背後からかけられた声に振り返れば、三郎と同じ顔をした少年が柔和な笑みを浮かべながら教室を見回している。
「有名人だね」
「六年生も大したことないな」
変人揃いの最上級生達。彼らが聞けば「お前にだけは言われたくない」と言われた事だろう。
それでも、認めていた。忍術学園で六年間ずっと生き抜いてきた彼らの実力を。自分が優秀である事を知る三郎は、だからと言って他者を見下しているわけではない。どちらかと言うとあまり好きではないが、それでも彼らの事を認めていたのだ。それなのに。
「三郎はどうするの?」
「どう、とは?」
「リサさん、だっけ。あの人のこと」
問いかけられて三郎はまた鼻を鳴らす。どうもしないさ。そう答える事を知っていたのか、雷蔵は「そっか」としか言わない。
学園長が言った。彼女が異世界人だと。
学園長が言った。行く宛がないから学園に身を置くのだと。
「どうするも自由だってさ。僕はどうしようかなぁ」
うーん。悩み始める雷蔵にくすりと笑って天井を仰ぐ。
学園長が言った。矢羽音で言った。
”どうするもよし。お前達の好きにせい”
疑わしいと思うのなら、探ればいい。
信じるに足る相手だと思うのなら、仲良くすればいい。
捨て置いても問題はないと判断したのなら、関わらなければいい。
全てを各々の判断に任せる。学園長がそう言った。
その言葉に従い、六年生達は彼女に近づいた。疑わしいと判断したからだ。そして懐柔された。あまりにもあっさり手懐けられてしまったものだから、それが演技なのではと考えていた。けれど違うとすぐに気付く。
あぁ、何だ。
貴方達はその程度だったのか。
認めていたのに。信頼出来ると思っていたのに。
残念。非常に残念だ。
「でも、もしこれが実は課題だったとしたら……うーん……」
ぶつぶつと独りごちて悩み続ける雷蔵に手を伸ばし、ふわふわとした栗色の毛を一房そっと手に取る。水分を含むとおかしな具合に膨れ上がるこの髪は、雷蔵の姿を模している三郎からすれば厄介なことこの上ない。けれど、それも雷蔵の一部だと思えばこんなにも愛おしい。
「忍者ならば疑ってしかるべき――けど、だからと言って不用意に近づいては六年の二の舞いだ」
「そうだよね……何かおかしな術でも使うのかな……」
何せ異世界人。どんな妖術を使うのか分からない。
むむむと眉を寄せて唸る雷蔵の髪を指に絡めてくるくると弄びながら、三郎はまたくすりと笑った。
「案外、あっさり色仕掛けに引っかかったんじゃないか?」
何せあの容姿だ。ここいらでは見ることのない、海の向こうに生きる者達に似た容姿。造りものではない銀の髪は陽の光を受けてキラキラと輝いていて、彼女に疑いの眼差しを向けていた三郎でさえも綺麗だと思ったほどだ。大きな目も整った顔立ちも、男を惑わすのに一役買ってくれる事だろう。
「えー? 全員が? 引っかかるかなぁ……」
そうかなぁ、でもここいらで見ない顔立ちだしなぁ、そうなのかなぁ
うーん、うーんと悩み続ける雷蔵を見ているのは楽しい。いつもは悩み疲れて眠ってしまうのだけれど、今日はまだその気配はない。
面白くない。新しい事務員に興味などないが、雷蔵の悩みの種となっている事が気に入らない。雷蔵もさっさと思考の外に追いやってしまえばいいのに。君子危うきに近寄らず、だ。学園に害を為す素振りを見せたら殺してしまえばいい。ただそれだけだ。
「あ、そうだ。僕、今日は図書委員の当番なんだ」
「ん? 当番は明日って言ってなかったか?」
「そうだったんだけど、市に珍しい本が並ぶって情報が入ったらしくてね。中在家先輩が松千代先生に同行する事になったんだ。だから僕が先輩の代わりに当番を引き受けたんだよ」
「ふーん……」
なんだ、つまんないの。唇を尖らせる三郎に雷蔵が笑った。
「また夜にね」
雷蔵の顔を借りてから数年。雷蔵のふりをしても気付かれない程には上手く変装出来ていると思う。
それなのに、どうしてだろうか。
「雷蔵」
「なぁに?」
ふわりと、陽だまりのような温かさのある笑みを浮かべる雷蔵。
どんなに上手く変装しても、その笑顔を真似する事だけは出来ないのではないか――大好きな雷蔵の笑顔を見るたびに、自分の汚さを突き付けられているように思えてならないのだ。
その日の授業を終え、三郎は目的もなく彷徨い歩いていた。
時折すれ違う後輩達には雷蔵のふりをして挨拶をし、さてどうしようかと思い悩む。と、その時、向こうから彼女がやって来た。新しく事務員になった異世界人――リサだ。
あちこちきょろきょろしているのは何かを探しているからだろうか。不意にこちらに気が付いたリサが躊躇いがちにやって来て三郎の前で止まった。
「あ、あの……」
「こんにちは」
にっこり笑いながら挨拶をすれば、その反応が意外だったのかきょとんと目を丸くしたリサが慌てて挨拶を返す。
「こ、こんにちは! あのっ、ちょっと教えてもらいたいんだけど、」
「何か探してるんですか?」
雷蔵のように笑えているだろうか。出来る限り優しい声音で問いかければ、目の前の異世界人はふにゃりと表情を緩めて安心しきった顔で笑う。愚か者。心の内でせせら笑いながら、三郎はリサの話を聞いた。この世界の文字を勉強したいから図書室を探しているのだと言う。
「まだ全部の場所知らなくて……」
「仕方ありませんよ、来たばかりなんですから」
図書室はあっちですよ。優しく微笑んだまま三郎は図書室とは正反対の方向を指した。
「ありがとう!」
異世界人は疑うことを知らないのか。満面の笑みで礼を言うと三郎の示した方へ走って行ってしまった。
「………あんな奴に」
あんな奴に六年生は揃いも揃って懐柔されたのか。情けない。全くもって情けない。
吐き捨てて三郎はくるりと踵を返す。行く場所は勿論、図書室だ。