17


四年い組の綾部喜八郎は落とし穴を掘っていた。
学園内は競合区域であるから、学園内のどこに落とし穴を掘ろうが自由である――というのが喜八郎の意見であって、その罠に引っかかる方からすれば溜まったものではないらしいが、喜八郎にとって些事であることは間違いない。

今日もその日の授業を終え、学園の至るところに落とし穴を掘り続けていた喜八郎は、不意に聞こえてきた足音に何となしに耳を澄ませた。ザッザッと箒で何かを掃いているような音も聞こえてくる。掃除をしているのならば事務員の小松田辺りだろうと当たりを付けたところで思い出したのは、前日に紹介された新しい事務員のこと。

ひょいと穴から顔を出せば、少し離れた先にこちらに背を向けて掃除をする新しい事務員の後ろ姿が見えた。彼女が動くたびに揺れる銀色の髪は陽に透けていて、綺麗だと素直にそう思った。

「ん?」

視線に気付いたらしい事務員が振り返り、ぱちり。目が合った。

「………落ちたの?」

掃除の手を止めてこちらにやって来た事務員が穴の傍にしゃがみ込んで、喜八郎の手にした踏鋤をじっと見る。

「あぁ、君が掘ってたんだね」

あっちにも落とし穴あったね。そう言って笑う事務員を喜八郎は無言のままじっと見つめ続けている。戸惑いを隠さない事務員は苦笑を浮かべながら「邪魔してごめん、迷惑だったね」と見当違いの台詞を口にすると立ち上がってしまう。

「落ちなかったんですか?」

去ろうとするその背に問いかければ、振り返った事務員はきょとんと目を丸くしてへらりと笑った。

「何とかね」
「おやまぁ、残念です」
「え? ご、ごめん……?」

眉を下げておろおろしだす事務員をじっと見つめ続けると、う、とたじろいだ事務員は溜息を落としてこちらへ戻ってきた。

「あの、ですね」
「何ですか?」
「その……何か言いたいことがあるのなら、どうぞ」

覚悟は出来てる、と何かに耐えるような顔で顔を引きしめる事務員。はぁ? と声を上げた喜八郎は、それでも何かするべきかと考え「ふむ」と考え込んだ。そして思い出したのは、集会での学園長の言葉。

「異世界ってどんな所ですか?」
「え? えーっと……うーん、ここよりちょっと危ない、かなぁ……」
「戦がたくさんあるんですか?」
「戦……は、そうだなぁ……こっちみたいに城同士の戦とかは無いかな」
「じゃあ、どういうのがあるんです?」

こてん。首を傾げて喜八郎は事務員を見上げた。

異世界から来たらしいこの事務員を初めて見たのは学園に戻って来て落とし穴を掘っていた時だった。
何とかして学園長を落とし穴に落としたい。卒業までに一度くらい落としてやろうと昔から学園長の庵の近くに落とし穴を掘り続けている喜八郎は、昨日も学園に戻ってくるなり庵の傍で落とし穴を掘っていた。
落とし穴のトシちゃん二号を作り終えたところで聞こえてきた声。そっと耳を澄ませてみれば話し声は容易に聞き取ることが出来た。一年は組のきり丸の声だ。

”消えませんよね!? いなくなったりしませんよね!?”

常とは違う切羽詰まった様子のきり丸に「おやまぁ」と呟きを漏らした。驚いた。きり丸がこんなに必死に訴えるなんて、と。それに返事をしたのは聞き覚えのない女の声で、興味本位でそっと近付いてみれば見知らぬ女がきり丸を腕に抱いて微笑んでいた。傍らには半助の姿もあり、あれ、土井先生いつ結婚したんだろう? と首を傾げたものだ。

きり丸が去った後の二人の会話は喜八郎には分からないことばかりで、ただ、リサという女が半助ときり丸に多大な恩を感じているということと、きり丸の願いを叶えたいからこの学園にいたがっているということだけ。
後の集会で彼女が事務員に採用されたことと異世界から来たことを聞かされたが、いまいちピンとこなかった。自分には関係のない話だと思ったからだろう、今こうして出会わなければきっと自分はリサと話すこともなかっただろうと思う。

目の前でうーん、うーんと唸る事務員――リサは、何やら必死に言葉を探しているようで。

「戦は少ないんだけど……悪い人がいっぱいいる、かなぁ」
「悪い人……」
「巻き込まれて殺されちゃう人が、多いと思う」

戦に出ることは無くて。ただ、日常生活を送っているだけで巻き込まれて死ぬことがある。
うまい言葉が思い付かなかったのだろう。ぐしゃぐしゃと頭を掻いて唸り続けるリサを見上げて喜八郎は尋ねた。

「じゃあ、貴方も悪い人ですか?」

ぴくり、と。ほんの一瞬。瞬きをしていたら見逃していただろう、小さな――そして確かな、動揺。
じっと見つめる先でリサは思案するような顔で視線をあらぬ方向に向けて、ふと小さく微笑んだ。

「そう、だね……悪い人、かな」

いい人じゃないことは確かだよ。
そう続けたリサは悲しげに微笑んでいた。

「ここは、いい人が多いね」
「みんな人殺しですよ」

思わず口をついて出た言葉に驚いたのは他でもない喜八郎自身だった。
人殺し。何故そんなことを言ってしまったのだろうか。確かに上級生になればそういう任務を受けることだってある。けれど四年生の喜八郎は未だにその機会が巡ってきたことはない。人を殺したことがないのに、何故そんなことを言ってしまったのか。
決まってる。いずれそうなるからだ。今は違ったとしても、最後にはそうなる。人殺し。皆同じだ。

「そっか」

リサは驚いた風もなくそう呟いた。

「好きなようには、生きれないよね」

ただただ、感情の読めない声で呟いた。




仕事に戻るね、と去っていったリサの背中を見送り、喜八郎は再び穴掘りを再開した。リサの気配が遠ざかっていくと同時に近寄ってくるいくつかの気配は誰のものだろうか。

「喜八郎」
「おやまぁ、立花先輩でしたか」

こんにちは。挨拶をした喜八郎に、落とし穴を覗き込んできた仙蔵は「あぁ」と頷きながら手を伸ばしてくる。指先が喜八郎の頬についた泥を拭ってくれるのにじっと大人しくしていると、手を引っ込めた仙蔵は「相変わらずだな」といつものように笑った。

「何をしてるんです?」
「彼女に用事があったんだが……逃げられてしまったようだ」
「みたいですねぇ」

ざくっ。ざくっ。穴を掘っている喜八郎の背中に向けられる視線。
きっと仙蔵たちは先程の会話を聞いていたのだろう。いつからかは分からない。けれど、喜八郎の台詞は聞いていたのだろうと思う。

「立花せんぱーい」
「何だ?」
「先輩は好きなように生きてますか?」

まるで世間話のような軽い問いかけ。
けれど返ってきた声はいつになく真剣で。

「――少なくとも、ここに来ると決めたのは私自身だ」

忍術学園に入学すると決めた。忍になると決めた。喜八郎も同じだ。
それがどんなに辛い選択なのか知りながら、それでも喜八郎自身が決めた。

「そうですか」

そして、だからこそ思う。

「あの人は、選べなかったのかもしれませんねぇ」

好きなようには生きれなかったのだろう。根拠など何もないが、漠然とそう思う。
この学園にだっているだろう。生き方を選べずにやって来た生徒たち。教師たち。リサだけが特別なわけじゃない。リサ自身それを分かっているだろう。

「立花せんぱーい」
「何だ?」
「あっち、落とし穴いっぱいあるから気を付けてくださいね」

あっち。リサが消えた方向を指して教えてやれば、仙蔵はぱちぱちと目を瞬いてふわりと微笑んだ。

「――だ、そうだぞ伊作」
「だ、大丈夫だよ! 皆だって一緒にいるんだし!」
「それでもいさっくんだけ落ちるんだよな!」
「えぇっ!? やだよ僕だけなんて! じゃあ僕、留三郎に捕まって行くよ!」
「はぁ!? 俺を巻き込むなよ!」
「……もそもそ」

六年生たちの楽しげなやり取りを聞きながら、喜八郎は掘り終えた穴をよじ登り罠を仕掛ける。よし、我ながら完璧だ。

「一回くらいは落としたいので、まだ追い出さないでくださいね」

歩き始めた六年生たちの背中に声をかけると、振り返った彼らは分かっているといった風な笑みを浮かべていた。

その直後、伊作が腕を掴んでいた留三郎と共に落とし穴に落ちたのは余談であり、喜八郎が「だーいせいこう」と満足げにピースしたことも余談である。