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「………怒らせちゃったかな」

去っていく仙蔵、文次郎、小平太の背中を見つめていると、小さな小さな呟きが聞こえた。
チラリと声の主へ視線を送れば、情けなく眉を下げたリサが箒をぎゅっと握りしめて三人の背中を見つめている。

「……怒っている、わけではない……」

いつものようにもそもそと言葉を紡げば、リサの視線がこちらに向いた。
このリサという女は聴覚が優れているらしい。先程の自己紹介も彼女はちゃんと自分の声を聞いてくれていた。

悪い人ではないのだろうと中在家長次は思う。
おそらく、他の六年たちもそう考えているに違いない。

けれど、それでも。

「長次……」

伊作の悲しげな声を聞きながら、長次はリサを見た。

「……貴方は、ここにいない方がいい……」

そうしなければ、きっとこの学園はおかしくなってしまう。傷ついたような顔のリサを見ながら長次はそう思った。
この六年は何だったのか。必死にやってきたつもりだ。鍛錬を欠かさず、後輩たちの立派な手本となれるよう自らを律してきたつもりだ。
それでも、このリサという異世界人にとっては取るに足らないか弱い存在でしかない。

足元が揺れるのだ。今まで築き上げてきたものが全て壊れてしまうような気がしてならない。
怖い。そう、怖いのだ。この女の存在が、恐ろしくて堪らない。

「………ごめんね」

小さな声で紡がれた謝罪は、彼女が心からそう思っていることが分かる。

「……気持ち悪い、よね……こんな、化物みたいな力でさ……」

自嘲するリサはもうこちらを見ようとはしなかった。

「家業が特殊でね……物心ついた頃には、もうこんなだったの。私の世界でも、こんな風な人なんてそうそういないよ……だから、ずっと友達とかもいなくて……」

初めてだったんだ。自嘲の笑みを浮かべながらリサは言う。

「土井先生ときり丸が一緒にいてくれて……生まれて初めて、やっと普通な暮らしが出来て……あんな風に誰かに優しくしてもらったこと、なかったから」

あぁ、聞かなければ良かった。

「二人があんまり普通だったから、忘れてた……ちゃんと、隠すべきだったよね……嫌だよね、こんなの……怖いよね、」

違う。そうではない。言いたいのに声が出ない。
怖いのは事実だ。けれど、それはリサ自身が恐ろしいという意味合いではなかった。ただ、怖かった。自分たちの築き上げてきたもの全てが崩れてしまうことが。
弱い自分と向き合うのが、ただただ怖い。

それきり黙り込んで掃除を再開したリサに、もう誰も何も言えなかった。




その夜、六年生は長次と小平太の部屋に集まっていた。
小平太は縁側に座りぼんやりと夜空を見上げているし、文次郎と仙蔵も黙り込んだまま何も言わない。伊作が気遣うように皆を見ているが、留三郎が一度伊作に情けなく笑いかけただけだ。長次は、そんな仲間を見ていられずにただただ目を瞑っていた。

「……リサさん、悪い人じゃ、ないんだよ」

伊作の悲しげな声がぽつりと部屋に溶けた。

「……分かっている……」

長次がそう返すと仙蔵が「あぁ」と静かに同調する。
あぁ、やはり。誰もが思っていたのだ。

「だが、それでも……」

仙蔵はその続きを言うことはしなかった。言えなかったのかもしれない。
自分の弱さを認めるのが、ただ怖かったのかもしれない。

「初めてなんだってさ……化け物みたいな力を持ってて、ずっと一人で……土井先生ときり丸が、初めて優しくしてくれた人たちだって」

少しでもリサの為にと思ったのだろう。
仙蔵たちが聞けなかったそれを告げる伊作の声は、まるで自分のことのように悲しげで。泣きそうで。
けれど、違うのだ。リサの事情などこちらには関係ない。

伊作は怒るだろうか。ただ、自分たちの弱さを認めたくだけだと知ったら。
伊作は悲しむだろうか。ただ、自分たちが傷つきたくないだけだと知ったら。

きり丸は怒るだろうか。そんな理由で彼女に消えて欲しいと願う自分たちを。
きり丸は悲しむだろうか。そんな理由で彼女を拒む自分たちを。

「私は、」

ずっと黙り込んでいた小平太が静かな声で呟いた。
目を開けて小平太の背中を見れば、他の皆の視線も小平太に集まっていた。

「私は……弱いな」
「、」
「小平太……」

ぐっと算盤を握りしめた文次郎と、苦い顔で小平太の名を呼ぶ仙蔵。
この二人も自分と同じだ。認めたくなくて、怖くて。そんな情けない自分が、許せなくて。

「――うん、私は弱い」

弱いんだ。自分に言い聞かせるように小平太は重ねていく。
長次たちが認められないその事実を。見たくない現実を。何度も呟いて自分の中に浸透させようとしている。

「弱いなら、強くなればいい」

留三郎の声は決意に溢れていた。
小平太以外の視線が今度は留三郎へと向かう。

「嘆いていても始まらねぇよ。強くなれば良いだけの話だ」

それがどんなに途方もない話か分かっているくせに。
それがどんなに苦痛を伴うことか分かっているくせに。

「それに……きっと、こんな理由であの人を追い出したら、俺は俺を許せなくなる」

後輩たちに会わせる顔もねぇ。そう呟いた留三郎の言葉に浮かぶのは、リサの腕の中に見たきり丸の嬉しそうな笑顔。
彼女がいることが嬉しくて堪らないと、きり丸の笑顔がそう言っていた。
彼女が受け入れられて良かったと、きり丸の笑顔が安心していた。

もし、このまま彼女を拒んだら。そうしたら、きっと。

「……きり丸に、顔向け出来ない……」

自分可愛さに後輩を傷付けることなど、したくない。したくないのだ。

「そうだ長次! 私はきり丸の泣き顔など見たくないぞ!」

だったら私が泣く方がいい! 叫んで立ち上がった小平太は、もういつもの小平太で。
それに頷きを返した自分の顔も、いつもと同じになっているだろうか。小平太が太陽のように明るい笑みを返してくれたから、きっと戻っているのだろう。

「それで? お前はどうなんだ、文次郎」

まさかそのままでいるつもりか?
鼻で笑う留三郎に文次郎が鋭い視線を返す。

「馬鹿を言うな! 俺は忍術学園一ギンギンに忍者している潮江文次郎だ!! ギンギンに鍛えてみせるに決まってるだろう!!」

五十キロが何だ!! それくらい俺だって出来るようになってみせる!!
声高に決意を表明する文次郎に小平太も留三郎も伊作も笑って。

「全く、お前らは……」

能天気な奴らばかりだな、と仙蔵も泣きそうな顔で笑った。