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「して、額は大丈夫かの?」

予期せず馬鹿力を披露してしまったリサは現在、学園長、半助と共に学園長の庵へとやって来ていた。
リサが頭突きをした地面は少しばかりへこんでいたが、そこは見なかったことにしよう。つい先程の出来事を記憶の彼方へと追いやり、半助は目の前で向き合って座る学園長とリサとを見つめていた。

「あ、はい。すみません、でした」

今度こそ正しい礼をしたリサに、学園長はうむ、と満足げに頷いている。
学園長の背後にずらりと並ぶ教師たちは油断なくリサを見ているものの、先程のやり取りを見ていたのか半助が予想していたほどの警戒はしていないように思えた。

「休暇の間に土井先生から文を受け取り、お主のことは聞き及んでおる」
「え? あ、そう、なんですか?」

きょとんと目を丸くしたリサが半助を見た。目が合い苦笑を返すと「まぁ、そうですよねぇ」とほんの少しばかり眉を下げて笑ったリサが学園長へと視線を戻す。

「異世界から来た客人、ということじゃが……他に何かわしらに言うことはあるかの?」
「他に、ですか?」
「この学園に置いて欲しいのじゃろう? なれば、それ相応の信頼を与えてもらわねばならん」

害になり得る者は置いておけない。学園長の言葉にリサは困ったように眉を下げた。

「正直な話、別に興味ないんですよこの学園には。ただ、私を連れて行かないと土井先生が困ると思ったから来ただけで……殺されそうになったら逃げるつもりではいたんですけど、きり丸がいて欲しいって言うから、そしたら私にはここに生かしたまま置いてもらう以外の選択肢は無いわけでして……」

……何か、すみません。頬を掻きながら謝るリサ。唖然。教師たちの様子を一言で示すならそれだろうか。
半助自身、ただただ呆然とリサを見つめることしか出来ない。

「あ、の……リサさん」
「はい?」

何とか声を搾り出せば、リサが首を傾げながらこちらを見た。

「貴方……本当に、その……いくら何でも、それは……」
「何ですか?」
「いや、だって……わ、私が困るから、とか……きり丸が言ったから、とか……」

ほ、本気ですか?
本気ですよ?

貴方こそ何言ってるんですか? と言わんばかりの目で見られて半助は頭を抱えた。

「っ、そんな理由でここまでのこのこやって来たんですか貴方は!」
「そんな理由って何ですか! 大事なことでしょうが!」

何を言っているんだこの人は。人が心配しているのに。
こめかみに青筋を浮かべながら半助は勢いよく床を叩きつけて立ち上がった。

「アホか!! ちょっとは自分を大事にしなさい! 家にいる時だって私たちのことばっかりで! 貴方が甘やかすからきり丸が際限なくバイトを持ってきちゃうんですよ!?」
「私だってちゃんと自分を大事にしてますよ! 徹夜明けで内職終わった後のきり丸の『リサさんありがとー!』が私の報酬なんですよ! 報酬欲しさに頑張って何が悪いんですか!」

同じように立ち上がったリサが張り合うように半助を睨み付けてくる。
これだけは譲れないと言わんばかりにギラギラと睨み付けてくるリサに僅かに怯みを見せた半助は、ぐ、と言葉に詰まってしまう。そんな半助に畳み掛けるようにリサは続けた。

「恩返ししたいんですから、貴方は大人しく恩返しされててください!」
「……何ですかその押し付けがましい恩返しは」
「私を拾ったのが運のツキです。諦めて恩返しされてください」

そして私をここに置いてください。
再び学園長の前に座ったリサは、ちっとも悪びれることなくそう言った。呆気に取られる教師たちなど目もくれず、目の前の学園長をひたと見据えている。

「ふむ……こちらが断っても聞かなそうじゃの」
「異世界の人間なんて得体の知れないもの、近くで監視しといた方が良いですよ。絶対その方が良いです」
「仮にわしらがお主を殺そうとしても、逃げてしまっては意味がないしのう」
「逃げられたら監視出来ませんしねぇ。他所で好き勝手されるくらいなら、いっそ懐に抱き込んで飼い慣らすのが得策かと」

私、たぶんですが役に立ちます
たぶん?
たぶん。あ、でもそこそこ強いので用心棒にもなります

押し売りするくせに「たぶん」と言ってしまう辺りがリサらしい。
難しい顔で考え込む学園長とニコニコ笑うリサのどちらに軍配が上がるのかは自明の理だった。

「よかろう。お主を忍術学園の事務員に任命する!」
「やったー!! ありがとうございます!」

土井先生! きり丸に報告に行かなくちゃ!
授業だからダメです
……ちぇ

つまんない。唇を尖らせるリサに大きな溜息を落として。
何だか色々と疲れた。少しばかり頭の弱い人なんだと思ってはいたが、まさかここまでだったとは。単純にも程があるではないか。けれど、それがきり丸の心をいとも簡単に開かせたというのは紛れもない事実で。全くもう。呟いて半助はくしゃりとリサの頭を撫でてやった。

「リサさん」
「ん?」
「ようこそ、忍術学園へ」

リサはそれはそれは嬉しそうに笑った。

学園長の庵を後にすると、半助はリサを事務室へ案内した。
道具管理主任の吉野作造と事務員の小松田秀作にリサを紹介して後を頼むと、一年は組の授業へ向かうべく校舎へと急ごうと踵を返す。
けれど何故か進まない。何かに引っ張られているのだ。言わずもがな、リサである。

「……リサさん?」

どうしたんですか? 授業始まっちゃうんですが、と振り返れば、リサは引き止めていた半助の袖をパッと放してへらりと笑った。

「土井せんせー、ありがとうございました」
「私は何もしてませんよ」

そう言うのに、リサは笑うだけ。

「頑張りますね!!」
「……はい、頑張ってください」

きっと何を言っても無駄なのだろうと笑みを返せば、リサは嬉しそうに笑ってもう一度「土井先生」と名前を呼んだ。

「先生もお仕事頑張ってくださいね」

行ってらっしゃい。きり丸と同じように与えられたその言葉に、何故だか分からないけれど一瞬戸惑って。半助は一拍置いて「行ってきます」と返した。

「お二人、夫婦みたいですねぇ」
「そうですか? じゃあ呼び方変えた方が良いですかね。行ってらっしゃい、あな――」
「ふざけたこと言ってないで仕事をしなさい!」

皆まで言わせて堪るか。暢気な事務員二人の頭に出席簿の角をお見舞いし――悲鳴は無視だ――苦笑する吉野先生にくれぐれも頼みますとお願いし、半助は教室へと急いだ。
教室へ行くと生徒たちは既に揃っており、半助の姿を認めた瞬間きり丸が弾けたように立ち上がり半助の元へ駆け寄って来た。

「あのっ、リサさんっ、リサさんは!?」
「大丈夫ですよね?」
「ここにいられるんですかぁ?」

きり丸に続いて乱太郎、しんべえまでもが半助に駆け寄り問いかけてくる。
よくもまぁ、あの短い時間でこの二人まで懐かせたものだと感心しながら、半助はきり丸の頭をぐしゃりと撫でてやった。

「落ち着きなさい。――大丈夫だから」
「本当っすか!?」
「あぁ。あとで学園長から話があるから、その時にまた会えるさ。さぁ、出席取るぞー!」

席に着けー! と声を張り上げれば、生徒たちは元気よく返事をして各々の席へと戻っていく。
出席を取りながらきり丸をチラリと見れば、じっと机を見つめたまま時折嬉しそうに表情を緩めては堪えるように唇を噛みしめていた。

「土井先生!」
「はい、庄左ヱ門」

出席を取り終えたところで挙がった手。声の主を指せば、一年は組の学級委員長、黒木庄左ヱ門は真っすぐ伸ばしていた手を下ろして立ち上がり、じっと半助を見つめたまま口を開く。

「先生の奥さんが学園に来たというのは本当ですか?」
「はぁ!?」
「さっききり丸たちが、」
「きーりーまーるー!」
「ち、ちょっとしたジョークじゃないっすかぁ!」

拳を握りしめてにじり寄る半助に、きり丸が怯えながら後退っていく。
何度も何度も同じようなことばかり言って、一体この少年は何を考えているのだろうか。

「先生! リサさんという方は先生とどういう関係なんですか!?」
「だから、」
「せんせー! いつ結婚するんですかー?」
「はなしを、」

次々に挙手をして勝手に発言していく生徒たちに口を挟む隙もない。
ぎゃいぎゃいと喧しい彼らのペースに乗せられないようにと深呼吸を一つ。

「――抜き打ちテストを行う」

ぴたり。さっきまでの喧騒が嘘のようだ。水を打ったようにしんとなった教室を見回して、半助は酷薄な笑みを浮かべる。

「ど、土井せんせー、目ェ据わってますって」
「喧しい。テストったらテストだ!」

うえぇぇぇ……! 呻き声を上げる生徒たちに構うことなく、半助は後日用にと控えていた問題用紙を配るのだった。