09


忍術学園は人里離れた山の中にある。
半助ときり丸が住んでいたのは学園から二番目くらい近い場所に位置する町だが、それでも学園までは半刻ほど歩かなければならない。道中出会った一年ろ組の鶴町伏木蔵、六年は組の善法寺伊作も加わり、より一層賑やかになった一行は忍術学園へ向かっていた。

当然ながら伏木蔵と伊作もリサの存在に首を傾げていたが、半助ときり丸が事情を説明すると驚きながらも理解はしてくれたらしく、比較的穏やかに自己紹介を済ませることが出来た。異世界からの客人など、よく理解出来たものだと感心すると同時にそれで大丈夫か?と彼らの今後が心配になってしまったのは半助だけの秘密である。

「リサさんの世界はどんな所だったんですかー?」
「どんな? うーん……どんな……どんな……」

そうだなぁ、と腕を組み首を捻るリサを何とはなしに見ていると、不意に少し先の草むらがガサリと葉を揺らした。風によるものではないそれに全員の視線がそちらへ集中する――と、半助たちの前に現れたのは茶色の毛玉。

「あ」
「うさぎだー!」

ぴょこんと長い耳をヒクヒクさせるうさぎに一年生たちが喜色を顕にする。うさぎは子どもたちをじっと見つめると、すぐにまた茂みの中へ消えてしまった。しんべえが残念そうな声を上げる。

「あ」
「どうかしました?」

ぽん、と手を叩いたリサに乱太郎が尋ねた。

「あのね、何かこう、でっかい獣がいっぱいいたよ」
「でっかい獣?」
「狼とかですか?」

伊作の問いにリサはううんと首を振る。もっとずっと大きいと言ったリサは、足元に落ちてた木の棒を披露と、そのまま地面にしゃがみ込んで絵を描き始めた。

「狼がこんくらいだとしてー、こーんな大きさの鳥とかー、こーんな大きさの獣とか」

うちで飼ってるミケはこんくらい大きいよ、と描いたそれはお世辞にも上手とは言えず、比較となる狼――ただしそれも狼とは似ても似つかない――に比べて何十倍も大きいということしか分からなかった。

「うっわー! リサさん絵下手っすねぇ!」
「うわっ! はっきり言われた!」

ショックを受けるリサに一年生たちが声を上げて笑い出す。いくら何でも馴染むの早すぎだろうと思いもしなかったが、よくよく考えてみればあのきり丸があんなにもすぐにリサに懐いたのだ。警戒することを知らない彼らがすぐに懐くのも当然のことのように思えた。
教え子たちの順応性が高すぎるのか、リサの精神年齢が彼らと同じくらいなのか。苦笑しながらそんなことを考えていると、不意に伊作がこちらを見た。

――大丈夫なんですか?

矢羽音で伝わってきた伊作の不安。さすが六年生と言うべきだろうか。これが普通と言えば普通なのだけれど、教え子たちがこんな状態なので伊作がとても頼もしく見えてしまう。
伊作の心配は尤もだ。異世界から来た人間なんて怪しすぎる。半助ときり丸がリサを信じていようと、乱太郎たちが彼女と打ち解けていようと、警戒しないわけにはいかない。けれど。

――私はそう信じてるよ

これで伊作の警戒が消えるとは思っていない。ただ、リサという人間を見極める上で一つの材料になってくれればと思う。
抵抗するきり丸を腕に抱きしめて伏木蔵を背中にぶら下げるリサと、その足元で笑う乱太郎、しんべえを眺めながら半助はふと表情を緩めた。

「善法寺自身の目で見て判断してやってくれ。――おーい! お前たち! 早くしないと遅刻するぞー!」

はーい!! と元気よく返事をする生徒たちが学園へ向かって走り出した。腕から逃れ走り出したきり丸に手を引かれたリサが、伏木蔵を背中にぶら下げたまま走っていく。その両脇に乱太郎としんべえが並んで、まるで姉弟のようだ。

「……あれで実は間者でした、なんてなったらあの子たち人間不信になっちゃいますね」
「善法寺……頼むからそういう不吉なことを言わないでくれないか」
「あはは、すみません……」

頭を掻いて苦笑する伊作をじとりと見遣り、半助は大きな溜息を落とすのだった。




忍術学園に到着した。
物珍しそうにきょろきょろと辺りを見回すリサを、きり丸が手を引いて敷地の中へと入っていく。事務員の小松田秀作に促されて入門表を書くと、伊作は一度保健室に行かなければならないと言って先に行ってしまった。残った生徒たちに教室へ行くように告げると、元気よく返事をした乱太郎、しんべえ、伏木蔵が教室へ向かって走り出す。

「あれ? きりちゃーん! どうしたのー?」
「、悪い! 先に行っててくれ!」

少し先で立ち止まった乱太郎にそう返すと、乱太郎は何となく察したのかしんべえたちと共に校舎の方へと走っていった。一人残ったきり丸が俯いたまま黙り込んでいる。

「きり丸、お前も教室に行きなさい」
「……土井せんせー、あの、」
「大丈夫だ。言っただろう? お前は何も心配しなくていいから」
「でも――」
「もー! きり丸可愛いなぁ!」

突如、半助の目の前にいたきり丸の姿が消えた。うわっ! と声がした方を見れば、きり丸を抱きしめたリサがきり丸ごと地面に転がっている。きり丸が逃げる余地なく抱きしめたままのリサは、ゴロゴロとあちこちを転げ回るたびに裾が肌蹴て顕になる素脚など気にならないらしい。転がり回るのを止めた今でも寝転がったまま腕の中のきり丸に頬擦りをしている。

「リサさん! 裾!」
「え? あ、ほんとだ」

きり丸を抱きしめたまま起き上がり裾を直したリサがへらりと笑う。元々着ていた服が南蛮のそれと似たようなものだからか、リサは腕や脚を出すことに抵抗が無いらしい。夏休み中、お願いだから隠してくださいと何度も懇願し続けて漸く気を付けてくれるようになったのだが、やはりまだ慣れないらしい。

「もー、リサさん服が汚れちゃったじゃないっすか」
「ん? あぁ、そんなん叩けば良いよ。気にしないから」
「少しは気にしてくださいよ……」

肩を落として二人の傍にしゃがみ込むと、きり丸は不安げな顔でリサと半助とを交互に見た。先程は抱っこされるのを嫌っていたくせに、今は大人しく腕に収まりながらぎゅっとリサの服の袖を握りしめている。さて、何と言ったものかと考えを巡らせていると不意に感じた微かな気配。教師のものか生徒のものかまでは判断出来ないが、誰かに見られているのは確かだ。よりによってこんな時に、と溜息を落としたくなるのを堪えていると、きり丸の頬を包み込んだリサがぐりぐりと額を押し当てて口を開いた。

「ねぇ、きり丸」
「ちょ、くすぐった――え? 何すか?」
「きり丸は、私にどうして欲しい?」
「え?」

ぱちくり。顔を離して呆然とリサを見つめていたきり丸は、漸くリサの言葉を理解したのか今度は困ったように眉根を寄せた。余りにも唐突な問いかけに戸惑うきり丸が半助を見る。リサはいつもの笑顔できり丸を見つめていた。

「どう、って言われても……」
「ここにいて欲しい? 消えて欲しい?」
「、そ、そんなの! いて欲しいに決まってるじゃないっすか!」

消えませんよね!? いなくなったりしませんよね!?
うん、いなくなったりしないよ

ぎゅっと服を掴んで強く訴えるきり丸の手に自らの手を重ねたリサが笑う。

「本当に!? 絶対!?」
「うん、絶対。きり丸がここにいて欲しいって言ってくれるなら、私はここにいるよ」
「、でも……でも、もし先生たちが信じてくれなかったら――」
「それでも、ここにいる」

優しく宥めるように言い聞かせるリサは、もしかしてこの気配に気付いているのだろうか。
大丈夫、傍にいるよと、微塵も躊躇せずに断言するリサに、きり丸の表情が徐々に和らいでいった。

「きり丸は教室に行くんでしょ? 授業頑張ってね」
「はい……はい、リサさんも……」
「だーいじょうぶだって! また後で会おうね!」

立ち上がらせたきり丸の服についた汚れを払い落としてやり、リサはその小さな背を押した。

「行ってらっしゃい、きり丸」
「――行って、きます」

あとで、絶対会いに行きますから!
絶対ですよ!? いなくなったりしないでくださいね!
いなくなってたら、ぼく、怒りますからね!

何度も振り返りながら校舎の方へ走り去っていくきり丸の背中が見えなくなると、隣から大きな溜息が漏れた。

「子どもは鋭いですねぇ……誤魔化しがきかないというか、」
「そうですね……」

まぁ、貴方も彼らの中に混ざってて違和感ありませんでしたけどね
若いってことだと解釈しますありがとうございますお父さん
誰がお父さんですか!

楽しそうに笑うリサをじとりと睨み、半助は溜息を一つ落とした。
これからのことを分かっているのだろうか。あんなにも簡単に「大丈夫」「ここにいる」なんて言ったりして。どうなるかも分からないのに楽天的過ぎる。痛み始めた胃を押さえると「土井先生」リサの静かな声が半助を呼んだ。
先程までとは違う雰囲気を感じ取り、自然と半助も顔を引きしめてリサと向き合う。足を投げ出して座っていたリサは、いつの間にか居住まいを正してじっと半助を見つめていた。

「どう――」

どうしたんですか? 問いかけようとした口は、リサが頭を下げたことによりその役割を放棄した。

「力を貸してください」

手を地面に付けたまま、顔を上げたリサがじっと半助を見上げている。
貸して欲しいと言われた。力を。一体、何の為に? 当惑する半助を余所に、リサはきり丸が走り去っていった方へ視線を送るとへらりと表情を崩した。

「いやぁ、きり丸があんまりにも心配そうだったから大見栄張って大丈夫とか言っちゃったんですけど、そもそも私どう考えても怪しいじゃないですか。信じてもらえなかったら殺されちゃうだろうし、でもそうするときり丸との約束守れないから――」
「ちょ、ちょっと待ってください!」

手のひらを突き出して叫べば、きょとんと目を丸くしたリサが首を傾げた。
いつもと変わらないその様子。けれど、彼女は確かに今言ったのだ。”信じてもらえなかったら殺されちゃう”と。

「………何故、ですか」
「え?」
「分かっていたなら、何故こんなにもあっさりついて来たんですか? 私が昨晩話した後に逃げ出すことだって出来たはずです。っ、貴方なら、それが出来たはずです……!」

尋常ならざる怪力。尋常ならざる速さ。それはこの世界において異質だ。彼女がその気になれば、半助でさえ追うことが叶わないのだろうということは、嫌でも理解出来たというのに。
それなのに彼女は半助ときり丸の家に残った。アルバイトを手伝い、家事をこなし、時には徹夜で花を作っていた。逃げ出す機会などいくらだってあったはずなのに。それなのに、何故。

責めるような物言いに、けれどリサはきょとんと目を丸くしたままで。次に口を開いた時に出てきたのは呆れたような声だった。

「土井せんせー、そりゃ私は確かに物知らずですけどね」

ふぅ、と溜息をついたリサが心外だとばかりに唇を尖らせて。

「二人に恩返しもせずに消えるほど、恥知らずになったつもりはありません」

先生は私を何だと思ってるんですか。唇を尖らせて文句を言うリサに、半助は言葉を失ってしまった。

「先生はアルバイトの手伝いとかで十分だって言ってくれましたけど、全然足りないんですよ。得体の知れない私なのに一緒にいてくれて、笑いかけてくれて……きり丸があんなに心配してくれたのが、凄く嬉しいんです。先生が今もそうやって心配してくれてるのが、凄く嬉しいんです」

真っすぐな目から逸らせない。
その目がほんの少しでも曇っていたなら、何か言えたのに。
ほんの少しでも別の感情が篭っていたなら、突き放せたのに。

「だから、きり丸が一緒にいたいって言ってくれるなら、私はここに置いてもらわなきゃならないんです」

それがきり丸の望みだから。いなくならないでと言ってくれたから。
どんな事をしてでもこの学園に置いてもらわなければならない。殺されてはならない。

「なので土井せんせー、どうか力を貸してください」

再び頭を下げたリサは言う。

「私もきり丸と一緒にいたいです。先生への恩返しだってまだ済んでません。だから私を生かしたままここに置いてください。何でもします」

その時、リサと半助の間にころころと転がってきた小さな玉。
次の瞬間には辺りに真っ白な煙が立ち込め、この忍術学園の学園長、大川平次渦正が立っていた。

「その意気や良し!!」
「が、学園長!」
「え!? 学園長!? え、ちょ、ま、まだ心の準備が……!」

と、取り敢えず初めまして!!
混乱した様子で挨拶をしたリサの頭には、半助が教えた礼の仕方など跡形もなく消えていたのだろう。
勢いよく地面に頭突きをかました瞬間、遠くの森で鳥たちが一斉に飛び立っていった。