05


「土井先生、お願いがあります」

夏休みも半分を過ぎたある日の午後、唐突にリサが言った。
半助に正しい礼の仕方を教わったリサは、最初の頃のように床に頭突きすることなく流麗な仕草ですっと頭を下げている。

「どうしたんですか? そんなに畏まって」
「大変申し上げにくいのですが……でも、その……」
「リサさん、早く言っちゃた方がいいっすよ。土井センセーは気が短いから」

ごつん。きり丸の頭に拳骨を落とした。ほらね、と涙を滲ませるきり丸を無視して再びリサの名前を呼ぶと、リサは視線を泳がせたかと思うと突然突っ伏して「ごめんなさい!」と叫びだした。

「バイトいっぱいしてるし我慢しなきゃって分かってるんですけど……っ! でも、聞いたらどうしても我慢出来なくてっ、」
「お、落ち着いてください。何の話ですか?」

ごめんなさいいい!と嘆くリサの肩を軽く叩いて優しく問いかけてみれば、顔を上げたリサが目に涙を溜めて半助を見上げる。出来れば、そういう顔をしないで欲しい。そういう対象として見るつもりなど無いが、悲しいことに半助も男なのだ。引き攣りそうになる頬を根性で耐えて再度優しく問いかければ、リサは小さな小さな声で言った。

「……おだんご」
「は? 団子?」
「……たべたい、です」

半助はぽかんと口を開けてリサを見下ろした。あんなに畏まって、泣いて。一体どんなお願いをされるのかと思えば、団子が食べたいと言う。ぱちぱちと瞬きをするだけで何も返せない半助に、何を勘違いしたのかリサはサッと青褪め、目に溜めていた涙をぼろぼろと流しながら再び突っ伏した。

「ご、ごめんなさいいいぃぃ!! 我儘言ってごめんなさい! もう言いません怒らないで……!!」
「ちょ、ちょっと待って。リサさん、落ち着い――」
「あー、土井センセーがリサさん泣かしたー」
「きり丸お前はちょっと黙ってなさい! リサさん私怒ってませんから!」

必死に宥め続けて漸く泣き止んでくれたリサは、鼻を啜りながらぽつぽつと語りだした。曰く、今朝顔を洗いに井戸に行った時、近所のおばちゃんたちが「新しいお団子屋が出来た」「美味しかった」と話してるのを聞いたらしい。毎日朝から晩までずっとバイト尽くしだということは、この家の家計が厳しいということであり、だからこそ我儘を言っては駄目だと言い聞かせたが、そうすればそうするほど団子が気になって仕方がなくなってしまったのだと言う。

「だから、その……一本だけ、とか、思って、ご、ごめ、なざい」

ぐすぐすと鼻を啜りながら訴えるリサの真ん前。跪き頭を垂れて打ち拉がれている半助も泣きそうだ。我儘も言わずに毎日毎日バイトに家事にと手伝ってくれていたリサに、団子の一本すら買い与えていなかった自分の不甲斐なさったらない。何故、今の今まで思い至らなかったのか。それは散財を嫌うきり丸が普段からあれが食べたいこれが食べたいと言わないからなのだけれど、そんなことは理由にならない。そもそも男としてどうなのか。

「せんせー、だから結婚出来ないんっすよ」

どうやら知っていたらしいきり丸の言葉が突き刺さる。そもそもきり丸に相談しないでくれ。余計に切なくなるではないか――そう思ったことがバレたのだろうか、きり丸は「昼間リサさんが『団子』って呟いてたの聞こえたんすよねー」と教えてくれた。仮にも忍者がこんなに簡単に心を読まれて良いのだろうか。重ねて辛い。というか、聞こえてたのなら教えてくれよ!と思ってしまう自分が嫌だ。大人って汚い。

「リサさん……」
「……ごめんなさい」
「すみません、お願いだから謝らないで……」

私もそろそろ泣きそうです。さすがにそこまでは言えなかった。おそるおそるといった様子で顔を上げるリサに「気付かなくてすみませんでした」と頭を下げたら「そんなこと言わせてごめんなさい……!」と更に謝られた。止めて欲しい。こっちも更に謝りたくなるから。目の前が滲んできた。

「んじゃ、ぼく団子買ってきまーす!」
「えぇっ!? だ、だめ! そんなの駄目!」
「別にいいっすよ? あとで先生にお金返してもらうし」
「駄目ええええぇぇ!! ごめんなさいごめんなさい! もう我儘言わないから許してえええぇぇ!!」
「お願いだからもう止めてえええぇぇ!!」

異世界に来てしまったと絶望していた時と同じくらい号泣するリサに、同じく号泣しながら叫ぶ半助。

ごめんなさいごめんなさい!
ごめんなさい反省してますだからもう謝らないで……!
何で先生が謝るんですか悪いのは私ですうあああん!!
止めて泣かないで私もう立ち直れる気がしない……!!

いい年した男と女による涙の謝罪大会は、団子を買って帰ってきた呆れ顔のきり丸に「もー、いい加減にしてくださいよー」と言われながら口に団子を詰め込まれるまで続いた。




「そう言えばね、土井先生」

もきゅもきゅと口を動かして幸せそうに団子を食べていたリサが不意に声を上げた。

「餡がついてますよ」
「うあ! 本当だ勿体ない!」

口端についた餡を指で掬ってぱくんと口に含むリサに苦笑しながら茶を差し出せば、さすがに恥ずかしかったのか――餡が付いていたことなのか、指を口に入れたことなのかは定かではない――照れ臭そうに笑ったリサがありがとうございますと言いながら湯呑を受け取る。

「それで、どうしたんですか?」
「この世界って換金とか出来ないんですか?」
「換金?」

頷いたリサが部屋の隅に置いていたカバンを引き寄せて中身を漁り出す。目当ての物を見つけたのか、カバンから取り出したそれを床に置いたので半助はきり丸と共に身を乗り出してそれをみた。

「これ……もしかして、金、ですか?」
「うっひょー!! 金! 金!!」
「あ、そうです。これ、換金出来ます?」

赤い石やら青い石やらが付いた金や銀の装飾品にきり丸の目が輝き出す。それもそうだろう。細部まで見事なそれらはドケチではない半助でさえ思わず喉を震わせてしまったのだから。銭が大好きなきり丸はいつも以上に興奮していて、それに見慣れてる半助でさえ少々気味が悪いと思う。
無造作にばらばらと置かれたそれらは、この古びた長屋の一室にはあまりにも不釣り合いだった。こんなに高価なものをそんなに乱雑に置いたリサにとっては高価なものではないのだろうか。使用人を雇えるくらい裕福な家にの娘ともなれば、それも仕方のないことなのかもしれない。けれど、ほんの少しだけ。

「――替銭屋はありますが……止めておいた方が良いでしょうね」
「えー!? 何でっすか!」
「考えてもみなさい。こんなものが外に出たら怪しまれるじゃないか」
「それは……そうっすけど……」
「うーん、駄目ですか……金判があるってきり丸から聞いたから、もしかしたらって思ったんですけど……」

肩を落として装飾品たちをカバンに戻すリサに、そもそもこれをどうしたのかと問えば、向こうの世界でもらったのだと言う。あんなにも高価な品を。

「お兄ちゃんの友達――なのかどうかは分かりませんが――、顔を合わせるたびに人を不愉快にさせてくれる奴がいまして。顔を合わせないように逃げまくってたんですが、そうすると余計に追っかけてくる性格最悪な奴なんですよ。だから言ってやったんです。そんなに私に会いたいのならそのたびに貢ぎ物を献上しろ、と」
「……それで、持ってきたんですか?」

ひくり。頬を引き攣らせる半助にリサは肩を竦めた。

「金だけは持ってるんですよねぇ。私と顔を合わせる為だけに持ってきたりしないだろうと高を括ってたんですが、甘かったです。私が思ってた以上に気狂いの変態ピエロでした」

ピエロとは何だろうかと思ったが聞かないことにした。つまり、あれだけ沢山の装飾品を贈ったのだ。会う為だけに。恋仲でも許嫁でもない自分を嫌う女に。乾いた笑みしか漏れない。異世界怖い。

「でもさー、リサさんそんなモン換金しようとして……良いんすか? その人怒ったりしません?」
「話し相手になった代だし、もらったもんどうしようと私の勝手だし。むしろアイツからもらったものをずっと持っているなんて気持ち悪くて出来ない」

その人物を思い出しているのだろうか、リサは自分を抱きしめてぶるりと身を震わせている。中々に酷いことを言うものだが、そこまで毛嫌いされているのに金品を貢いで会いにいく方もどうかしていると半助は思う。

「その……わ、私が来て出費が増えたでしょう? だからちょっとでも足しになればと思ったんですけど……」

役に立てなくてごめんなさい。しゅんと項垂れるリサに、半助はきり丸と顔を見合わせて苦笑を浮かべた。
価値観の違いが浮き彫りになり、やはり自分たちとは相容れぬ存在なのだと思ってしまった自分が恥ずかしい。しかも、その事実が寂しいだなんて思ってしまったから尚更。

「貴方は……十分返してくれてますよ。きり丸のバイトも手伝わせてしまってますし、家事だって手伝ってくれてるじゃないですか」
「そうそう! リサさんのおかげで今回めっちゃ稼がせてもらってまーす!!」

あひゃひゃ! お銭! お銭!
銭壺を抱きしめて狂ったように笑うきり丸に溜息を一つ落とし、半助はリサに向き直った。

「お気持ちだけ、ありがたく頂戴します。――ありがとう、リサさん」
「え、あ、や、だって、ほら……その、私の方がお世話になってますし、えっと、」

串の残った皿を脇に避けて、リサが再び半助に頭を下げた。驚き目を瞠っていれば、顔を上げたリサが照れ臭そうにはにかむ。

「いつも、ありがとうございます。私、もっと先生たちの役に立ちますから、」
「、」
「お手伝い出来ることあったら、何でも言ってくださいね」
「…………ありがとう、ございます」

あぁ、もう。出来ることなら今すぐ顔を覆ってしまいたい。そんな気持ちを必死に堪えて半助は笑みを貼り付けた。

新学期まで、まだあと半月もあるというのに。
それまでに自分はこの人間を見極めなければならないというのに。
既に絆されている自分がいる。警戒心はどうした。きり丸は銭を数えるのを止めてリサにくっついている。リサさん、リサさんと後ろから肩に腕を回して話しかけるきり丸は、どうやら本気でリサを気に入ってしまっているらしい。警戒心はどうした。
こっそり溜息を落として湯呑を手に取る。落ち着け。まだ期間があるのだ。冷静になれ。見極めなければならないのだから。

「リサさん、もういっそ土井せんせーと結婚したらいかがっすか? 金持ってないけど」
「ぶっ」

冷静さを取り戻す為に口に含んだ茶は、きり丸のとんでもない発言により噴霧となって消えた。

「きーりーまーるー!!」
「うわああぁぁ! リサさん助けて!」
「逃げるな!」

三人で過ごすこの生活が染み付いてしまうようで怖い。
そんな恐怖を感じてしまう程に心を許してしまったことが情けないとも思う。

「だ、大丈夫ですよ土井先生! 金がある気狂いの変態より金のない胃痛持ち男の方がモテますから!!」
「それ褒めてませんよね!? すみませんね金がない胃痛持ちで!」
「うーん、それだけ聞くと結構嫌な物件っすねぇ。だから結婚出来ないのか」

ごつん。特大の拳骨を一つ。
痛い痛いと喚いて転がり回るきり丸には、特別に夏休みの宿題を追加してやろうと思う。