リサは走っていた。
「はぁ……はぁ……っ」
何処までも続く薄暗い一本道を、ただただ走り続けていた。
遥か先に見える小さな光を目指してひた走るリサの耳に聞こえてくるのは、いくつもの銃声と剣と剣がぶつかり合う金属音ばかり。時折足元が揺れ、バランスを崩して転びながらもリサは必死に走り続けた。
「ママ……っ、パパ……!みんな、ぁ……!」
あの光へ行けば会える。父に、母に、大好きな人達に会える。
終わりは突然だった。どれだけ走っても一向に近付く気配のなかった光が突然目の前に現れてリサの身体を包み込む。あまりの眩しさに腕で目を庇い、足を止めた。腕の下で目を何度も瞬かせて漸く慣れた頃、リサは恐る恐る腕を下ろした。
「っ、パパ! みんな……!!」
十字架に磔られた父親達に駆け寄ろうとした足を踏み出した瞬間、辺りに響き渡る高笑い。それは紛れもなくリサを海に放り投げて行ってしまった男のものだった。恐怖で足が竦むのが分かる。辺りを見回すが、その姿を見付ける事は出来なかった。
「殺せ!!」
何処からか響き渡る男の声。次の瞬間、磔られた父親達の身体に無数の刀が突き立てられた。血飛沫が上がり、断末魔の叫びが辺りに響き渡る。
「あ……っ、あ……! や、いや! やめて! やめてええぇぇ!!」
真っ赤に染まった彼らがピクリとも動かなくなる。涙を溢れさせながら、リサはその場に蹲り頭を抱えた。
「やだ……やだ……!! たすけて、だれかぁ……!」
「リサ……、リサ……!」
か細い声に弾けたように顔を上げれば、さっきまでそこにあった父親達の身体は消え去り、目の前に一つだけ十字架が立っていた。磔られた人物は紛れもなく母親だった。
「ママ、ママ……!」
震える手をそっと伸ばして母親の元へ足を踏み出した瞬間、再び聞こえる高笑い。
「殺せ!!」
パチリと目を開けたリサに、エリザは伸ばしかけた手を思わず引っ込めた。
「大丈夫?」
浅く荒い呼吸を繰り返すリサの顔を覗き込んで尋ねれば、薄い膜を張ったリサの目がゆっくりとエリザを捉えて数回瞬きを繰り返す。拍子に溢れ落ちた涙を指で拭って微笑みかけてやれば、リサは安心したのか安堵の息を漏らしてそっと目を閉じた。再び開いた目がしっかりとエリザを捉える。大丈夫そうだと理解したエリザは海水でバサバサになった髪を優しく撫でながら口を開いた。
「何処か痛いところは?」
「へ、いき」
「何か食べれる?」
小さく頷いたリサに「ちょっと待っててね」と言い残してエリザが去っていく。リサは見慣れない天井をぼんやり見つめながらグッと拳を握り込んだ。
一体ここは何処だろうか。揺れている感覚は船に乗っているからだと理解出来たが、この船がどんな船なのかは分からない。自分はどうなったのだろうか。
「お待たせ。起き上がれる?」
エリザの持つトレイには湯気の立ったカップがあり、美味しそうな香りがリサの鼻腔を刺激した。正直な腹がキュルルと空腹を訴えれば、エリザは楽しげに笑ってベッド脇の机にトレイを置いた。起き上がったリサにカップを差し出すと、リサは躊躇いがちにそれを受け取り、ふーふーと息を吹きかけて冷ましながらズズズとスープを啜った。
「あちっ、」
「ちゃんと冷まさなきゃダメよ」
クスクス笑うエリザにほんの少しだけ顔を赤くしたリサは、何度も何度も息を吹きかけてもう一度スープを啜る。ゴクリと飲み込んだスープの温かさが身体中に染み込んでいくような気がした。
「おいしい……」
「良かった、ちゃんとしたご飯はお風呂の後ね。海水で髪がバサバサなのよ。身体も気持ち悪いでしょう?」
コクコクと頷いて、リサは残りのスープも冷ましながら飲んでいく。あっという間に全て飲み終えると、カップを片付けているエリザに恐る恐る話しかけた。
「あの……ここ、どこ?」
一瞬だけ困ったように眉を寄せたエリザが、すぐにリサを安心させるかのように優しく微笑みながら答える。
「モビーディック号の医務室よ」
「片付けてくるわね」と行ってしまったエリザをぼんやり見送りながら、リサは首を傾げた。
モビーディック号とは船の名前なのだろう。けれども、この船がどんな船なのかは教えてはもらえなかった。定期船なのだろうか。それとも客船や商船なのだろうか。それとも――。
「パパ……みんな………」
彼らが敗けるなんて思ってもみなかった。彼らが死んでしまう日がくるなんて思ってもみなかった。目を閉じれば嫌でも浮かんでくる光景に、グッと歯を食縛って耐えた。それでも溢れてしまう涙をどうする事も出来ずに、リサは何度も何度も目を擦って嗚咽を堪えた。
『白ひげ海賊団の弱点を見つけてこい』
高笑いと共に甦る声に眉根を寄せ、リサは大きく息を吐き出した。探さなければならない。白ひげ海賊団を。
「お待たせ。ごめんなさいね、お風呂の前に船長に会ってもらえるかしら?」
戻って来たエリザに頷いてベッドから下りる。差し出された手に自らの手を重ねれば、震えが伝わったのか「大丈夫よ、怖くないわ」と優しく微笑みかけてくれた。
長い廊下を通って甲板へと向かいながら、リサはこの船がとんでもなく大きいのだという事に気付いた。自分が乗っていた船とは比べ物にならないほどに大きい。萎縮してしまうのは仕方のないことで、ビクビクと警戒した様子で辺りを見回しながら歩くリサに、エリザは何度も「大丈夫」と優しい言葉をかけてくれた。
甲板に出ると、数え切れないほどの視線に晒された。これだけ大きな船なのだから当然と言えば当然だが、エリザにしがみ付きながら恐る恐る見回すとどの顔も自分の乗っていた船のクルーと似たり寄ったりの凶悪面で、この船が海賊船なのだということは容易に想像出来た。
「船長、連れてきました」
辺りをキョロキョロと見回していたリサは、立ち止まったエリザの声でハッと正面を向き、すぐに息を呑んだ。
「随分と小せェな」
大きな声を出している訳ではないのに、全身に響く低い声。思わずエリザの手とスカートを握り締めて背後に隠れれば、エリザが苦笑してリサの頭を撫でた。
「大丈夫よ」
言葉と共に前に押し出される。震える身体をどうする事も出来ないまま、自分やエリザよりも遥かに大きな身体の船長に向かい合えば、船長はグビグビと手に持った酒を呷り口元を拭ってからリサを見下ろした。
「おい、お前の名前は何だ?」
「、リサ、です」
「そうか。リサ、お前自分がどうなったか覚えてるか?」
船長に問われ、リサは小さく頷いた。
「言ってみろ」
「、ふね、が……かいぐんに………」
「海軍に?」
片眉を上げた船長にビクリと身体を震わせたリサは慌てて首を縦に振る。無意識に胸の辺りで握り込んだ手は震えたままだった。
「お前、海賊船に乗ってたのか?」
船長の傍に立っていたリーゼントの男がリサに問いかける。左のこめかみから頬にかけて大きな傷痕がある事に僅かに身体を震わせたリサは、それでも小さく頷いた。
「パパの、ふね……」
「へぇ、お前の父ちゃん船長だったのか。それで、海軍に出くわして――って事は、お前の父ちゃん達は……」
「………、うぇっ……」
思い出しただけで涙が溢れてくる。くしゃりと顔を歪ませたリサは歯を食縛って必死に涙を拭こうと袖を目に押し当てた。隣にしゃがみ込んだエリザの温かい手が優しく頭を撫でて抱き寄せてくれた。
「オヤジ……」
「全員殺されただろうな、コイツ以外は」
オヤジと呼ばれた船長の言葉にリサの身体が大きく震える。そんなリサを宥めるようにエリザの手が優しく背中を叩いてくれた。
「海に落ちた後の事は覚えてるか?」
船長の問いに首を横に振れば、先程のリーゼントの男がリサの元にやって来た。咄嗟にエリザにしがみ付いたリサに苦笑を浮かべてしゃがみ込んだ男は、ニカッと人懐こい笑みを浮かべた。
「お前、この船見つけて助けてって叫んでたろ? 声は聞こえなかったんだけどよ、お前が板にしがみ付いてんの見つけたんだ。そんで、気ィ失ったお前をこの船に運んだってワケ。俺、サッチな」
「よろしくな」と差し出された大きな手とサッチの顔を交互に見てから、リサは躊躇いがちに自らの手をサッチの手に重ねた。
「よ、ろしく……」
「リサっつったよな。お前いくつだ?」
「はっさい」
左手を五本、右手を三本立てて答えれば、サッチは傷痕にくしゃりと皺を寄せて笑った。父や船の皆が見せる笑顔と変わらないそれにホッと安堵の息を吐き出したリサも僅かに微笑む。サッチの笑みが濃くなった。
「八歳か、よく頑張ったなァ」
わしわしと頭を撫でてくれる大きな手はやはり温かくて、父親の手を思い出した。
もう撫でてもらえないのだと思うと途端に悲しくなり、一気に目に膜を張ったリサにサッチは「どうした? 痛かったか!?」などと慌てて尋ねてくる。
「、パ、パ……」
「あー………そっか、そうだよな」
顔を歪ませてぼろぼろと泣きじゃくるリサを優しく抱きしめ、サッチは何度も「よく頑張ったな」と優しく声をかけ続けてくれた。