大きな揺れと共に砲撃音が聞こえてリサは目を覚ました。
大砲の音など既に聞き慣れたものとなってはいるが、どうしたって好きになれるものではない。ましてや、寝起きで部屋の中に独りきりなのだと自覚してしまえば、外から聞こえる銃撃音と平衡感覚を失ってしまう程の大きな揺れは恐怖心を煽るものでしかなかった。
「……ママ、パパ………」
おそらく甲板に出て戦っているであろう両親を想い、リサは恐る恐る部屋の外へと出た。揺れる船内を壁伝いに歩いて甲板へと向かう。この揺れはもう少しで鎮まる。きっとこの戦いもこの船の勝利だ。外から聞こえる音が徐々に少なくなっていくのを聞きながら、リサは僅かに表情を和らげて甲板へ続く扉を開けた。
「パパ! ママ!」
扉を開ければいつものように母が優しい笑顔で迎えてくれる。そう信じて疑わなかったリサの目の前に広がるのは白を基調とした服を着た男性で、見渡せばどの大人も皆同じ服を身に纏っていた。
「子ども……?」
リサの目の前に立つ男がずれた帽子を直しながらリサの前にしゃがみ込む。
「君……もしかして、この船の子かい?」
「あ、う……」
脅えさせないように配慮してくれたのだろう、目線を合わせて優しく尋ねた男の白い服はあちこちに赤い点が散っていて、それが血だと気付いたリサは反射的に目を逸らした。そして、その先に見つけてしまった。
「パ、パ……」
数メートル先、うつ伏せに倒れているのは紛れもなくリサの父親だった。身体の下から染み出しているのが何かなんて考えるまでもない。
「あ……うぁ………パパ、パパ……!!」
「あ、こら!」
伸ばしてきた男の手を振り払って父親の元へ駆け寄る。既に温もりを喪い始めた父親の目は何も映すことなく、だらりと開いた口からは呼吸音すら聞こえてはこなかった。
「君、離れなさい! こっちへ来て!」
「やだ、やだ……! パパ、パパ!!」
「何だァ? 娘が乗ってやがったのか」
「チャールズ准将!」
父親にしがみ付いて泣き喚くリサを引き剥がそうとしていた男が慌てて敬礼をする。それを無視してリサの元にやって来たチャールズは、自分を見上げるリサの目に確かな憎悪の色を読み取ってニタリと口端を上げた。
「殺せ」
「は? しかし……!」
「まだ子どもですよ!?」
「バカ野郎! ここで逃がしたコイツが成長して海賊にならねェ保証が何処にある!? ガキだろうがコイツは海賊の娘だ! 親が海賊! それだけでコイツも罪人だ!!」
声高に叫ぶチャールズに、部下達は顔を見合わせて渋々と頷いた。上には逆らえない。陽の光を浴びてギラリと光るサーベルを片手に部下の一人がリサに歩み寄ってきた。
「、や……いや………」
殺される。斬られてしまう。痛い。怖い。嫌だ。助けて。誰か。
溢れた涙でぼやけた視界に、男がサーベルを振り下ろしたのを認識した瞬間、リサは目を閉じた。
途端に響く銃声。何かが落ちる音の直後にドサリと重い何かが倒れた音が聞こえた。
恐る恐る目を開けると、リサを斬り殺そうとしていた男が足元に倒れているのが見えた。
「リサ……!!」
パッと上げた顔が自然と綻ぶ。けれど、その声の主を見つけたリサはすぐにまた顔を歪ませた。
「ママ!!」
息も絶え絶えに甲板に倒れている母親に駆け寄ろうとするが、それは叶わなかった。
「ぎゃんっ!」
「チッ、まだ生きてやがったのか」
取り押さえられ甲板に押し付けられたリサの遥か上から降ってくる呟きはチャールズのものだ。母親は部下によって銃を奪い取られ、首元にサーベルを宛てがわれている。
「や、やめて……ころさないで……!!」
「あァ?」
チャールズが胡乱気にリサを見下ろした。
「おねがい……っ、おねがいします! なんでもするから……っ、だから、ママをたすけてください!!」
時折咳き込みながら「おねがいします、おねがいします」と叫び続けるリサを見下ろすチャールズの目は冷たい。願いは聞き入れられる事なく母親もろとも殺されてしまうのだろう。そんな考えがリサの頭を過ぎった時だった。
「――良いだろう」
聞こえた声は間違いなくチャールズのものだった。驚愕に目を見開いて顔を上げると、ニタリと嫌な嗤いを浮かべるチャールズがリサの前にしゃがみ込んでいた。
「お前と母親を助けてやる」
「っ、ほんとう!?」
「あぁ、ただし条件がある」
「『じょうけん』……?」
それは一体何だろうか。脅えた顔で自分を見上げる幼い顔に更に笑みを濃くしたチャールズは、ゆっくりと口を開いた。
「白ひげ海賊団の弱点を見つけてこい」
「他の軍艦からの定期連絡で、白ひげ海賊団の船はあと数時間後にこの海域を通る事が分かっている」
住み慣れた船から海軍の軍艦に連れて来られたリサは、共に連れて来られた母親と離されてチャールズと共に甲板にいた。
「運が良けりゃ会えるだろう。白ひげ海賊団に潜入して弱点を見つけ出す。それがお前の任務だ」
「、はい」
「お前の母親は弱点と引き換えだ。お前が上手いこと弱点を見つけてくることが出来れば、また母親と暮らす事が出来る」
ニタニタと気持ち悪い笑みで話すチャールズを見上げる気にはなれなかった。自分が頑張ればまた母親に会える。一緒に暮らす事が出来る。父親や家族同然に過ごした仲間達の死を悲しんでいる場合ではなかった。
「やるか?」
「――やる!!」
グッと拳を握り締めて頷いた直後だった。
「そうか。じゃあ、行って来い」
言葉と共に浮遊感に襲われて視界がぶれた。何が何だか分からないまま揺れる視界に気持ち悪くなり目を閉じた次の瞬間、痛いくらいの衝撃が全身を襲った。口の中に入り込む塩辛い液体。海の中に放り込まれたのだと気付いたのは酸素を求めて海面に出た時だった。咄嗟に飲み込んでしまい盛大に咽せていると、上から聞こえる高笑い。
「運が良ければ会えるだろうよ」
「え……!?」
「軍艦が傍にあって潜入が出来ると思うか?」
「だ、だって……! じゃあ、わたしはどうすれば・・!」
「そこで暫く待ってるんだな。あぁ、そうだ。おい」
「ハッ!」
船の上からチャールズと部下らしき人物のやり取りが聞こえる。直後に傍に降ってきたのは何の変哲もないただの薄いベニヤ板だった。
「それを貸してやる。船が沈んで遭難したとでも言えば良い」
「あばよ」という言葉と、ヒラヒラと泳ぐ手。それきりチャールズがリサを見ることはなく、部下達に「出航!」と告げると軍艦はゆっくりと動き出した。
「本当に出来るのでしょうか? あんな子どもに……」
「出来る訳ねェだろうが」
「え!?」
「どの道死ぬんだ。死に方を選ばせてやる俺ァ優しいだろうが」
ニタニタと笑うチャールズに部下は僅かに眉を顰めた。
「では、あの少女との約束は……」
「約束? 何の話だ?」
「では……母親の方はどうするおつもりで?」
「分かりきった事聞くんじゃねェよ。あの女は海賊。死刑だ」
高笑いしながらチャールズが船室へと入っていく。その背を見送った部下は、息も絶え絶えのまま甲板に放置された母親をチラリと見てから海へと視線を向けた。
海賊は罪人。母親に同情の余地はない。
けれど――。
「ま、まっで……!」
海面に必死に顔を出して叫ぶリサを苦々しげに見つめ、部下は帽子を目深に被ってリサに背を向けた。
「………すまない」
背後から聞こえる少女の声から逃げるようにその場を去った。
必死に海水を掻きながら、リサは遠ざかっていく軍艦の後を追おうともがいていた。けれど船の上げる飛沫によって思うように泳げない。元々、こうして海に落ちるのも初めてなのだ。泳ぐなんてした事がないリサにとってはベニヤ板にしがみ付いてただただ船を見送る事しか出来なかった。
「ママ……、ママーーーーッ!!!」
叫んでも届かない。
チャールズの高笑いが、いつまでも耳に残っていた。