鶴丸国永は追い駆ける 壱


 春の心地よい風に泳がされるように、桃色の花びらが一片、また一片と親元を旅立っていく。足元を見れば旅を終えた花びらが絨毯を作っていた。
 長い年月を感じさせる石壁。ところどころ塗装が剥がれて錆を見せる鈍重な鉄門は、今は何者をも拒むかのように固く閉ざされている。奥に見える正面階段と建物は、あの写真に写っていたものと相違ない。

「ここが……?」
「まずは状況確認だ。鶴丸、身を隠すぞ」

 山姥切に促されて人通りの少ない路地へと移動しながら、確かにこの時代に自分達のような装いは酷く目立つことだろうと鶴丸はまるで他人事のように思った。

「まだ暫くは現れないだろう。待機だな」

 懐から審神者特製の護符を取り出しながら山姥切が呟く。現世で遡行軍と対峙する際、刀剣男士の姿を見られることは混乱を招く事態になりかねない。あの異形を見られた時点で混乱を招くだろうと常々思っていたが、かと言って自分達が晒し者になるのも本意ではないので口にしたことはない。また、今回のようにタイムラグが生じた場合に姿を見られない為の措置として、部隊長である山姥切は審神者から姿を隠す護符を預かっていた。

 部隊全員が姿を隠せたことを確認してようやく一息つくと、乱藤四郎は鋭い目で鶴丸を見据えた。思わずぎくりと身を強張らせてしまったのは、彼の責めるような視線の中に好奇の色も見つけてしまったからだろうか。

「な、何だ?」
「さ、鶴丸さん。尋問の時間だよ」

 語尾にハートマークが付きそうな声音と笑みに頬が引きつる。山姥切がそっと視線を逸らして布で顔を隠したのを横目に見つつ「裏切り者」と心中で叫んだ。そんなことでこの女子のような見目の刀剣男士からの追求を逃れることは出来ないのだけれど。
 今この時にも彼女達が現れて、遡行軍も現れて戦闘開始――などと都合のいいことになるはずもなく、つい先程空を明るくさせたばかりの陽がその姿を更に高くしていくまで、鶴丸は洗いざらい全てを白状させられることとなった。

「なるほどなるほど。んー、鶴丸さんって意外と乙女なんだね!」
「…………散々聞き出して言うことがそれか?」
「大丈夫! 僕はちゃんと応援するよ!」

 片目を瞑って愛らしく笑む乱に苦い笑みを返す。歴史修正主義者との仲を応援されてもなぁと返しながらも、喜んでいる自分に気付いていた。

「だが、これからどうする気だ? ここであいつの企みを挫いたとして、おそらくまた同じように改変を企むだろう。どうやって止める気だ?」

 山姥切の言葉は尤もだ。最後に万屋で会ったあの時、彼女は決して諦めないのだと理解してしまった。きっと鶴丸が何を言っても彼女は考えを改めることはしないだろう。
 そうまでして変えたい過去とは一体何なのか。あの時彼女の姿はまるで存在が虚ろになってしまったかのように薄れて消えてしまった。改変によって彼女が万屋にいるという事実がなくなってしまったからだろう。

「何が出来るのかは分からない。考えを変えてはくれないかもしれない。それでも……このまま諦めることはしたくないんだ」

 ほんの僅かでも構わない。彼女の考えを知りたい。どうして改変を望むのか。何を望んでいるのか。彼女のことを知ることが出来れば――。

”お団子、また買いに行ってくださいね”

 出来るはずがない。彼女がいない団子屋に行くなど。彼女がいたからこそ入り浸っていたのだ。彼女がいるからこそ居心地が良いと感じたのだ。
 遠慮はしない。必ず取り戻す。先刻口にした決意を再度胸の内で呟き、鶴丸国永は静かに目を伏せた。





 ちらほらと幾人かの人がやって来た。固く閉ざされていた鉄門は、今は何者をも拒まぬとでも言うように全開されている。政府系の建物で見かける役人達のようにスーツを着た男性達や、明るい色のスーツに身を包んだ女性達が忙しく看板を運び出していた。
 入学式と書かれた簡素な看板の縁を紅白の造花が飾り立てている。あの写真と同じものだ。暫くすると紺の学生服を身に纏った若者達が次々に門を潜って校舎へと向かっていく。そのうち、学生達の中に糊のきいた新たな制服を身に纏う者達も混ざり出した。本日の主役達だ。
 在校生、新入生、そして保護者達が次々に門の中へと吸い込まれていく。中には看板の前で記念撮影をする家族もいたが、写真の彼らはまだ姿が見えない。

「あの写真の制服の子があの人なの?」

 乱の囁きに山姥切が懐から写真を取り出した。真新しい制服に身を包み、照れ臭そうに笑う少女。彼女によく似ている。

「おそらくな。……ここで何を変えたいんだ?」

 答えはそう遠くない内に明らかとなった。写真の彼らが現れたのだ。幼子と手を繋いだ女性も彼女とどこか似ているし、隣を歩く男性の優しい眼差しにも既視感がある。間違いなく彼女の両親だ。母と手を繋いだ幼子が眠そうに欠伸をした。

「あの人はいないね。もう入っちゃったのかな」
「みんな同じ服を着ているからな。見逃したのかもしれない」

 親子三人が門の中へ入っていく後ろ姿を見つめながら、鶴丸達は待ち続けた。一時間、二時間――。中へ入った方が良いのではないかという乱の案は鶴丸が却下した。

「でも中に遡行軍が現れたら――」
「仮に遡行軍が現れるとして、彼女が他の人間を巻き込むとは思えない」

 決して確信していたわけではない。ただ信じたかったのだ。彼女の全てが偽物だったとは思いたくなかった。ただの我儘だと自覚していたが、山姥切も乱も何も言わずに聞き入れてくれた。
 そうして数時間が経過し、新入生や保護者達が外に出てきた。看板には行列が生まれ、家族ごとに順に記念写真を撮っていく。

「あっ、あそこ!」

 乱の指した先には彼らがいた。制服姿の彼女も一緒に列に並んでいる。あの写真と同じように記念写真を撮り、学校を後にして歩き出すのを静かに追った。ある程度学校から離れると人は疎らになり、あの家族達の周りには他の家族が数組いるだけとなった。

「公園に入ってくぞ」

 あの幼子の為だろうか。公園へと足を踏み入れる家族を追って足を速めた。
 ベンチに荷物を置き、幼子が滑り台へ向かって嬉しそうに駆けていく――その行く手を阻むかのように空間が揺らぎ異形が姿を現した。

「来たぞ!」
「嘘! 狙いはあっち!?」

 遡行軍の狙いは幼子の方だった。引きつった悲鳴を上げる母と姉。父が慌てて幼子の元へ駆けて行くが、短刀に腕を斬りつけられて蹲ってしまう。
 脇差が幼子に迫る。ぽかんと異形を見上げる幼子の柔らかい首を狙って振り下ろされる刃――。

「させないよ!」

 間一髪のところで乱が脇差の刀を弾いた。次の瞬間には山姥切が脇差を斬り捨てる。数瞬遅れで追いついた鶴丸は、駆ける勢いのまま驚き身を竦める幼子を抱きかかえて地面を二度ほど転がり、幼子に迫る短刀の刃を逃れた。

「怪我はないか?」

 問いかけに呆然と鶴丸を見上げる幼子は答えない。ひくり。柔らかい頬の下、喉が震えたかと思うと幼子の目から止めどなく涙が溢れて頬を濡らした。

「もう大丈夫だ。怖かったな」

 泣きじゃくる幼子の背を努めて優しく撫でてやりながら、安心させるように声をかける。ひくりとまた喉を鳴らした幼子が泣き腫らした目で鶴丸を見上げた。

「だあれ?」
「俺か? 俺は鶴丸国永だ」

 濡れた頬を指で拭ってやったその時、幼子の名を叫びながら母が駆けてくる。既に遡行軍は倒されており、乱が応急処置として父親の腕の止血を施していた。その傍らには姉が寄り添い助けを求めて携帯端末に呼びかけている。
 母の腕に収まった幼子は、安心からか再び火がついたように泣き出した。幼子を強く抱きしめながら涙混じりに礼を紡ぐ母に気にするなと声をかけてやり、山姥切達の元へ向かう。

「これで大丈夫だよね」
「おそらくな。一度戻るが……構わないな?」
「あぁ、戻ろう」

 窺うように見てくる山姥切に頷いてみせると、不意に山姥切の目が鶴丸の背後へ向いた。ぎこちない足音に気がついて振り返ると、涙を袖と手で懸命に拭いながら幼子が駆けてくる。

「どうした?」

 屈み込んで問いかけると、幼子は鶴丸の袖をぎゅっと握った。

「ありがとう」

 あ。無意識に零した声に幼子が首を傾げる。拍子に眦に残っていた涙が頬を伝った。気持ちを落ち着かせる為に深く息を吸い込んだ鶴丸は、跪いて幼子の頬に残る涙の跡を拭ってやった。

「きみは、生きていて良いんだ」

 きょとんと目を丸くする幼子の頬を撫でて立ち上がる。深く頭を下げる母と姉に手を振り、鶴丸達は本丸へと帰還した。