審神者はすっかり落ち込んでいた。気遣わしげに声をかけてくれる加州にも乱にも悪いことをしてしまったと思っている。朝餉の後から姿の見えない鶴丸は、きっとまた万屋へ行ってしまったのだろう。ここ最近ずっと本丸を空けている。
「主……」
「主さん、ごめんね……僕、上手く出来なくて……」
「加州も乱も悪くないよ。……ごめんね、情けない主で」
こんなんじゃ鶴丸に見放されても仕方がないのかもしれない。せめて安心させてやろうと笑ってみせたけれど、加州も乱も泣きそうな顔をしたから上手く笑えていなかったのだろう。
「…………あんなに怒ったの、初めて見た」
一人きりになった部屋でぽつりと呟く。いつも笑顔の絶えない鶴丸があんなに怒るなんて。それほど彼の気に障るようなことをしてしまったのだろうか。
ここ最近、鶴丸国永という存在がよく分からなくなっていたのだ。出陣も遠征も内番もちゃんとこなしてくれるし、驚きを求めて毎日のように朝早くから落とし穴を掘ったりしている。気まぐれに部屋にやって来ては他愛ない話や小さな驚きを残していってくれる彼だが、ここ最近ずっと本丸を空けている。行き先が万屋だと知った時には「無駄遣いしちゃ駄目だよ」と釘を刺したし、それに対する彼の返事だって「あぁ、分かってる!」といつもと変わらないものだったはずだ。
一日、また一日と鶴丸が本丸を留守にする日が増えていった。彼が朝早くに用意した落とし穴に誰かが落ちても直後に「どうだ、驚いたか!」と覗き込む顔がない。先日、和泉守が落とし穴に落ちた時は怒る相手が本丸にいなくて文句を連ねていた。
本丸にいることが嫌になってしまったのだろうか。誰かと仲違いをしたという話は聞いていないし、本丸にいる時の鶴丸の様子におかしなところは見受けられなかった。それでも鶴丸は毎日のように姿を消すのだ。だから一期と光忠から団子屋で働いていたと聞いた時はホッとしたものだ。働いていたから本丸にいることは出来なかったのだとそう思ったから。
けれどよくよく話を聞いてみれば働いたのは昨日一日限りだと言うし、それまでは団子一皿でずっと居座っていたと言うではないか。営業妨害かと思えるようなその行為の理由は、やはり本丸にいたくないからでは――落ち込みかけた審神者に一期が励ますように語ったのは、団子屋の看板娘のことだ。
”鶴丸殿は彼女に会う為に団子屋を訪れているそうですよ”
一期のその言葉に救われたような気がした。本丸にいたくなかったわけじゃない、ただ好いた女性に会いたかっただけなのだとそう思ったから。「良かったね、主!」と加州が言った。「帰って来たらいっぱい話聞いちゃおうね!」と乱が言った。舞い上がっていたのだろう。鶴丸が審神者を嫌っているわけではないと分かったから。
”いい加減にしてくれ。苛々する”
冷めた金の目と吐き捨てられた言葉を思い出して審神者はぐっと唇を噛みしめた。昨日の夕刻、帰って来た鶴丸を部屋に招いて女子トークのノリで根掘り葉掘り聞き出そうとしたのが悪かったのだろう。浮かれていたとはいえ、ずっと誰にも言わずに恋心を温めていた鶴丸に悪いことをしてしまったと反省もしている。夫からも「あれはあんたが悪い」と言われてしまった。
謝ろうとしたけれど、夕餉の席で鶴丸は目を合わせてくれなかった。そのショックが大き過ぎて夜も殆ど眠れず、ならば朝早く起きる鶴丸を捕まえて今度こそ謝ろうとしたけれど、今日に限って鶴丸は外に出てこなかった。広間の前で待ち伏せてもみたけれど、彼は相変わらず目を合わせてくれなかった。何とか挨拶をしてみれば返事はきたものの、その金の目がこちらを見ることは一度もなかった。
それから鶴丸の姿は一度も見ていない。もしかしてこれから先もずっとこんな風になってしまうのだろうかと思うと涙が溢れてきて止まらない。少し前までは心底愛した相手と結婚して幸せの最中にいたというのに。
「また泣いてるのか」
「大倶利伽羅……」
部屋を訪れた夫が泣きじゃくる審神者を見下ろしてぐっと眉根を寄せた。いい加減泣き止めと抱きしめてくれるが、そう簡単に泣き止めるのならとっくに止まっている。
「つるまる」
「……」
「き、きらわれ、た、かなぁ」
「嫌ってるわけじゃない。あんたの考えすぎだ」
大倶利伽羅はそう言って審神者を慰めてくれた。だが、本当に? 本当にそうなのだろうか? もしかしたらずっと鶴丸の気に障ることをしていたのではないだろうか。鶴丸は優しいから何も言わずにいてくれて、それでとうとう我慢出来なくなってしまったのではないだろうか。目を合わせようとしない鶴丸を思い出して震える唇を噛みしめると、伸びてきた手が顎を掬い上げた。
「噛むな」
間近に見える金の目は労るように審神者を見つめている。心配をかけたいわけじゃないのに涙が止まってくれないのだ。もし拒絶されたら――鶴丸が審神者に「きみの刀剣でいたくない」なんて言ったら。悪い方向にばかり考えがいってしまう。
「泣くな。あいつもあんたを泣かせたいわけじゃない」
「だ、て」
「虫の居所が悪かっただけだろ。気にするな」
ぼろぼろと溢れては落ちる涙を拭う指は優しくて、泣き止みたいのに涙は一層流れて大倶利伽羅の手袋を濡らしていった。キリがないなと呟く大倶利伽羅の声はひどく優しかった。
「主、いる?」
廊下から声がかけられる。加州の声だ。袖で涙を拭ってから返事をすれば、そっと襖を開けた加州が審神者の涙の跡が残る顔を見つけて顔を歪めた。そんな加州に何とか微笑みながら招けば、加州はのろのろと部屋の中に入ってきた。その後ろからひょっこり現れた乱が審神者に駆け寄って熱の残る頬を包み込んでくれる。
「主さん、泣かないで」
「うん……ごめんね、もう大丈夫だから。どうしたの?」
「あの、さ……”気分転換に外に出てみない?”って誘いに来たんだ」
加州は言った。気分転換に万屋に行こうと。乱も言った。団子屋に行かなければ鶴丸さんにも会わないだろうし、と。
「最近行ってなかったでしょ? だから、久しぶりにパーッと買い物とかしようよ」
「俺はこれから内番入っちゃってるから行けないんだけど……乱は一緒に行くし、まんばと前田も捕まえといたからさ」
「加州……ありがとう。じゃあ……行って来ようかな。乱、一緒に来てくれる?」
「もちろん! 大倶利伽羅も一緒に行く? 今日何か入ってたっけ?」
「手合わせだ」
「じゃあしょうがないね。主さんのことは僕らがちゃーんと守るから!」
そうと決まったら支度をしなければ。昨夜から何度も泣いた所為で腫れてしまった目許をなぞると加州と乱が「大丈夫、ちゃんと隠してあげるから!」と自信たっぷりに笑う。
「ありがとう、二人とも」
満面の笑みを返した加州と乱が「着替え終わったら呼んでね」と部屋の外へ出て行くと、大倶利伽羅が審神者の髪に指を通して顔を寄せてきた。応えるように仰向けばそっと唇が触れ合い、沈んでいた気持ちがまた少し浮上する。
「手合わせ頑張ってね」
「あぁ。楽しんでこい」
「うん、ありがとう」
手合わせの為に部屋を出て行く大倶利伽羅を見送った審神者は、どうかこの楽しい気持ちが続いてくれますようにと願いながら着替えを始めた。
久しぶりにやって来た万屋は多くの人と刀剣男士で賑わっていた。乱藤四郎、山姥切国広、前田藤四郎とあちこちを見て回る審神者は、自分が心から買い物を楽しめていないことに気付いていた。あちこちですれ違う他所の鶴丸が嫌でも目に入るからだ。
「お! なぁなぁ主、あの店に行ってみないか?」
聞こえてくる鶴丸の声は万屋での買い物を心から楽しんでいる様子で、彼の主も楽しげに笑いながら頷いている。少し前までは自分たちもあんな感じだったのにと思ってしまえば、気分は落ち込む一方だ。
「主さん」
乱の呼びかけにハッとしてそちらを見れば、困ったように笑う乱が手を繋いでくれる。
「ごめんね、大丈夫だよ」
「主君……」
前田と山姥切が気遣わしげにこちらを見ている。鶴丸との不和は既に本丸中の知るところとなっていた。今朝も審神者と鶴丸の話を耳にした山姥切が鶴丸と話そうとしてくれたらしいが、既に万屋に行ってしまった後だったそうだ。気を遣わせてしまっていることが申し訳ない。
「大丈夫だって! ほら、買い物買い物!」
審神者は努めて明るい声で言った。うんと楽しまなければ。「あっ、あの店見てみようよ!」と小走りで進むと、顔を見合わせた乱たちもすぐに追いかけてくる。労るような笑みを浮かべる彼らが少しでも楽しんでくれれば良いと審神者は思った。
「あー、歩いたねー」
「主君、大丈夫ですか? お疲れでしたらどこかで一休みしましょう」
「そうだね――あっ、あそこ……は、」
偶然目に入った団子屋の幟に声を上げたが、その声はすぐに途切れて消えてしまった。万屋にはいくつか団子屋があるが、光忠と一期の報告であの団子屋が鶴丸の行きつけだと審神者は知っていた。
「ほ、他の所にしようか!」
「そうですね! 確かその先に甘味屋があったはずですから!」
乱が努めて明るい声で言った。前田もそれに同調し、山姥切が審神者の手を掴んで「こっちだ」と歩き出す。早足で団子屋を通り過ぎようという考えなのだろう。誰もが審神者に気を遣ってくれているのだ。心優しい神様ばかりだが、どうやら天にいるであろう姿の見えない神様はそうは思わないらしい。
「あっ」
小走りで山姥切に連れられていた審神者は、不意に足元で何かがぷつりと切れたような感覚に声を上げた。何が起きたのか認識する間もなく身体が前に傾いでいく。咄嗟に山姥切が助けてくれたことで転倒を免れることが出来たが、足元を見れば履いていた草履の鼻緒がぷつりと切れていた。何て間の悪いことだろうか。ここは団子屋の真ん前で、うっかり転びかけてしまった審神者たちは少なからず人目を集めてしまっている。
「大丈夫ですか?」
かけられた声に顔を上げれば、襷掛けで袖を纏めた和服姿の女性がこちらにやって来るところだった。前掛けを見ればどこかの店の店員であることは明白で、審神者の見間違いでなければ彼女は団子屋からやってきたのではないだろうか。
「だ、だいじょうぶ、です」
「あぁ、鼻緒が切れてしまったんですね。災難でしたねぇ」
優しい口調でそう言った彼女は、どうぞ休んでいってくださいと団子屋を指して言った。
「近くの呉服店で鼻緒を直してもらえますから、その間うちで休んでいってくださいな」
「ぁ、で、でも――」
審神者は戸惑った。だってあの団子屋には鶴丸がいるはずなのだ。ここに鶴丸がいるということを審神者は知っているし、鶴丸だって審神者に知られていることを知っている。今ここで店を訪れて鶴丸に出くわしたら――もしかしたら本当に嫌われてしまうかもしれない。青褪めた審神者に何を勘違いしたのか、彼女は「体調が悪そうですね」と心配そうに顔を覗き込んできた。
「おやまぁ、真っ青ですよ。そこのお方、審神者さんを運んであげてください」
声をかけられた山姥切は逡巡したようだったが、観念したように息をつくと頷いて審神者を抱き上げた。
「ま、まって、まんば」
「仕方ないだろう。このままじゃあんたは歩けない」
「でも」
「乱、さっき呉服店があっただろう。鼻緒を修理してもらって来てくれ」
「分かった! 主さん、大丈夫だって。僕がいなければ茶化しに来たなんて思われないだろうから」
こそっと囁きかけて、乱は鼻緒の切れた草履を引っ掴むとすぐに人混みに消えてしまった。外のテーブル席に下ろされ、俯きがちにこっそり視線を巡らせてみたけれど鶴丸の姿は見当たらなかった。もしかして中の席にいるのだろうか。それならば会わずに済むかもしれない。ホッと安堵の息を漏らすと前田が「あっ」と声を上げた。
「どうしたの?」
「草履、片方しか持って行ってません……」
「あ」
審神者と山姥切の声が重なった。切れた鼻緒は修復出来ないだろうから新しい物に差し替えることになるだろう。このままでは右と左で鼻緒の柄が違う草履になってしまう。いつもなら気付いただろうに、乱も少なからず動揺していたのだろうか。
「僕ちょっと行ってきますね。山姥切さん、よろしくお願いします」
「あぁ、分かった」
「では主君、行って参ります」
「うん、ごめんね。ありがとう」
前田はすぐに人混みに紛れていった。素足になってしまった審神者に「すまない」と山姥切が謝罪の言葉を紡ぐ。自分が急がせすぎた所為だと俯く彼は審神者が初めて選んだ刀だ。もう何年も一緒にいるとうのに、相変わらず自虐的な刀剣である。
「まんばの所為じゃないよ。気を遣わせちゃってごめんね」
「あんたが謝ることじゃない。元はと言えば鶴丸が――」
山姥切の声は途中で消えた。ある一点を見つめて固まる山姥切に首を傾げてそちらを見ると、目を見開いてこちらを見る鶴丸国永の姿。間違いなく審神者の鶴丸である。
審神者は青褪めた。どうしよう、怒らせてしまう。嫌われてしまう。硬い表情でこちらへやって来る鶴丸に顔を俯かせていると、テーブルまでやって来た鶴丸が徐ろにしゃがみ込んだ。鶴丸の白い頭が視界に映り込んだ。
「どうしたんだ?」
「、ぇ」
「足。何で裸足なんだ」
鶴丸の声は審神者を心配するものだった。呆然としている審神者の隣で山姥切が「鼻緒が切れた」と答えると顔を上げた鶴丸が審神者を見た。かちり。昨日ぶりにかち合った金の目がじっとこちらを見ている。
「怪我は?」
「、な、ない、よ」
「そうか」
気の所為ではない。自惚れでもないはずだ。鶴丸の声に安堵の色が見えた。心配してくれたのだ。審神者が怪我をしていないかと心配して、怪我がないことを聞いて安心してくれたのだ。
「ごめん」
気付けば謝罪の言葉が口から漏れていた。鶴丸がまた審神者をじっと見る。
「本当は来るつもりなかったの。すぐそこで鼻緒が切れちゃって、それで……ここの人が声をかけてくれて……」
「あぁ、聞いた」
「…………ごめんなさい……嫌な思いさせて、ごめんね」
こみ上げる涙を必死に飲み込んだ。せっかく加州と乱が化粧で隠してくれたのだから台無しにしては駄目だ。こんな人の目があるところでみっともなく泣くなんてしたくない。ぐっと唇を噛んで涙を堪えていると、滲む視界の先で鶴丸の顔が歪んだような気がした。
「もう怒ってない。…………俺も、すまなかった」
だから泣かないでくれと言う鶴丸の声は優しくて、審神者は慌てて取り出したハンカチを目許に押し付けた。垂れ流すよりはずっとマシだろうが、やはり人の目は避けられないだろう。近くの席で噂されているのが聞こえてくる。
「あーあ、泣ーかしたー」
揶揄というには少々抑揚の足りないのんびりした声に顔を上げると、そこにはお盆に湯呑みを三客載せた先程の女性がそこにいた。
「鬼かきみは!」
「すみません、つい」
悪びれもせず答えた女性は盆の上の湯呑みを審神者達の前に置いていく。審神者と山姥切の前に一客ずつ置いたところで女性がこてりと首を傾げた。
「あれ、もう一方いませんでした?」
「もう片方の草履を持って行った」
「おやまぁ、そうでしたか」
山姥切の返答にそう返した女性は鶴丸に「じゃあ貴方が飲んじゃってください」と声をかけた。鶴丸が苦い顔で女性を見る。
「さっき休憩したばかりじゃないか」
「お茶一杯くらい飲んだって罰は当たりませんよ」
「でも今は忙しい時間帯だろう。きみ一人じゃ――」
「その心配をするなら数年ほど遅かったですねぇ」
鶴丸の訴えは敢えなく躱されてしまった。渋々と鶴丸が山姥切の向かいに腰を下ろすと、女性は「お団子食べますか?」と審神者に問いかけてくる。何とも掴みどころのない人だと審神者は思った。
「え、あ、は、はい。じゃあ、お願いします」
「はーい、お待ちくださいね」
にこりと笑って女性は店内へ戻って行った。その後ろ姿を見送っていると鶴丸が拗ねたような顔で口を開く。
「見た通りだ。俺と彼女はきみ達が思うような仲じゃない」
どうだろうかと審神者は思った。女性と鶴丸の気心知れたやり取りは、彼らの仲の良さをこれでもかと言うほど表していたではないか。けれどそれを言うことはせず、審神者はただ「そっか」と笑うに留めた。せっかく仲直り出来たのだから、もう波風を立てたくなかったのだ。
「あんた、いつからここで働いてるんだ?」
「昨日からだ」
山姥切の問いかけに鶴丸が答える。そう言えば山姥切は知らなかったか。じゃあそれまではどうしていたのかと山姥切が問いを重ねると、彼は僅かに眉根を寄せて拗ねたような顔で顔を逸らし「ここにいた」と呟いた。
「ずっと? 一日中?」
「いいだろ、別に。ここが落ち着くんだ」
そう言ってから鶴丸はバツの悪い顔で「本丸の居心地が悪いわけじゃないぞ。彼女と話をしていただけだ」と続けた。山姥切と顔を見合わせて思うのは、やはり鶴丸は彼女が好きなんだな、である。
「お待たせしましたー」
団子の皿を持った彼女がやって来た。鶴丸がサッと立ち上がり女性のお盆から皿を取り上げた。素早いその動作も、鶴丸が彼女に想いを寄せているからだと考えれば納得がいく。隠されているのは寂しいが、いつかは話してくれるだろうか。いつかこの女性を恋人として紹介してくれる日が来るだろうか。
「まだ休憩してていいですよ」
「いや、もう飲み終わった」
立ったままぐいと茶を一気に飲み干した鶴丸を女性が呆れたように見る。鶴丸も不貞腐れたような顔でじとりと女性を見ると、女性はくすりと笑った。
「何も言ってませんよ」
「その顔をやめてくれ」
「おやまぁ、私は昔からこの顔ですよ」
ひどい神様ですねぇと笑う女性の腕を掴んだ鶴丸は「仕事だ仕事」と言ってさっさと行ってしまった。こちらを振り返ることもしない鶴丸に引っ張られながら歩く女性の「ごゆっくりどうぞー」という声だけが寄越された。
朝から晩まで彼女の傍にいることを望み、目と目で会話を交わし。それでどうして特別な関係ではないと思えるだろうか。たとえ関係がなくとも鶴丸が彼女に特別な感情を抱いていることは一目瞭然だ。
「…………ねぇ、まんば」
「何だ?」
「上手くいくといいね、鶴丸」
僅かな沈黙の後「そうだな」と小さな声が返ってきた。
山姥切が布の下で僅かに眉根を寄せたことも、彼が返答に躊躇った理由も、店の中で鶴丸が女性から「おやまぁ真っ赤っ赤」と揶揄われていることも、仲直り出来たことを喜び顔を綻ばせる審神者には知る由もなかった。