きっと誰にも信じてもらえないだろうが、俺は身体が弱かった。
未熟児で生まれた俺は何度も生死の境を彷徨い、それはそれは親を心配させていたらしい。
ついでに、とんでもなく珍しい血液型だということで、両親――特に母親は、俺が大怪我をしないかといつも傍でハラハラしながら見ていたように思う。
「母さん、そんなに心配しなくたって大丈夫だって」
「だって……心配なのよ? もし万が一のことがあったらと思ったら……」
自慢ではないが、俺の生まれた家はそれなりに裕福で。過保護な母親は俺が外で怪我をしないようにと家庭教師を付けてたくさんのことを勉強させた。
毎日毎日、机に向かって教科書と睨めっこ。遊びたい盛りの俺はそれが気に入らなくて、隙を見つけては家を抜け出して裏に広がる林へと遊びに出かけた。
自分の家の領地ということもあり、俺は危機感なんて欠片も持たずに毎日のように家を抜け出して林で遊んだ。木登りをして、川で魚を捕まえて、林の中を駆け回って。
友達は一人もいなかった。
一人で遊ぶ日が増えるほどに、町で楽しそうに追いかけっこをしている同じくらいの子たちを見るたびに、寂しさが募って仕方なかったのを覚えてる。
俺は、一緒に遊んでくれる友達が欲しかった。
ある日、林の中で熊を見つけた。
この林にいる熊は比較的穏やかな奴らばかりだと庭師に聞いていたから、俺は躊躇うことなくそいつに近付いた。
「なぁ、俺と友達になってくれよい」
こちらをジッと見つめる熊に向けて手を差し出し、その目を見つめた。
それがいけなかったのだろうか。それとも、他の行動で何かまずいことがあったのだろうか。
グルグルと唸るような音が聞こえて、目の前に立つ熊の尖った歯が剥き出しになって。
どうして。こわい。やばい。
恐怖で竦んだ足はちっとも動かなくて、声も出せなくて、目も逸らせなくて。
のっそりと寄ってくる熊を見つめながら、両親の顔とか、十数分前に話した庭師の顔とか色々思い出して。
ころ、される。
目の前の巨体がゆらりと動いた瞬間、大きな音が耳を劈くと同時に身体に衝撃を受けて視界がブレた。
いつの間にか俺の目には真っ青な空が映っていた。
呆然と空を見ていると、徐々に感覚が戻ってきて、誰かの息遣いがすぐ傍に聞こえた。背中が痛くて、けどそれ以外はどこも痛くなくて、代わりに温かい何かに包まれていることに気付いて――漸く、自分に覆い被さる何かに気付いた。
「、かあ、さん……?」
掠れた声にピクリと反応した身体がゆっくりと動いて、涙を浮かべた二つの青い目が俺を見つめた。
「マルコ……無事?怪我はない?」
「かあ、さん……かあさん、どうして――」
言葉は最後まで続かなかった。
ぱんっ
俺の怪我を無事を確認した母が振り上げた手のひらが俺の頬を打って。
情けない話だが、初めて手を上げられた俺は呆然と彼女を見つめるしか出来なくて。
「大丈夫ですか!?」
ガサガサと草木を揺らしながら現れた庭師が、その手に猟銃を抱えて駆けてくるのが視界の端に見えた。
あぁ、そうか。あの熊は撃たれたのか。
そう理解した次の瞬間、何処かに消えていた恐怖がまた蘇ってきて。
「この時期の熊は出産を控えて気が立ってるのが多いんですよ」
さっき教えようとしたのに、坊っちゃんあっという間に行っちまうから。
とにかく無事で良かった。本当に良かった。
眉を下げて笑う庭師の言葉に耳を傾けながら、今度は優しく抱きしめてくれた母に必死に抱き付いて。
「ごめ、ん、なさい……ごめんなさい……っ」
「無事で良かった……本当に、無事でよかったわ」
親子揃って泣いて、泣いて、泣いて。
家に戻ってからは父親にも怒られて。拳骨を食らって。抱きしめられて。
その翌日、両親は揃って家を出た。
「旦那様と奥様から言付けを預かっております。『暫く留守にするが、勉強を怠けないように。林には行かないこと』だそうです」
「……そっか。分かった」
俺の行動に愛想を尽かしてしまったのだろうか。
不安に押し潰されそうになりながら、失望されたくない一心で必死に勉強に打ち込んだ。
くる日もくる日も両親の帰りを待ち侘びて、待ち侘びて。
半年後、両親が帰って来た時はとても嬉しくて、けど、どう接したら良いか分からなくて。
「お、お帰りなさい。あの……母さん、は?」
「マルコ、こちらへ来なさい」
緊張気味に紡いだ言葉に返答はなく、ついて来いと命令された。やっぱり嫌われてしまったのだろうか。もう昔のようには接してくれないのだろうか。母が姿を見せないのは、俺の顔を見たくないからという事だろうか。顔を曇らせながら父に続いて書斎に入ると、目の前に差し出されたグルグル模様の妙な果物。
「父さん、これは……?」
「悪魔の実だ」
「悪魔の実――って、あの、家にある図鑑の?」
俺の問いに父は一度頷いて。
差し出された実を受け取って、隅から隅まで眺めて、感嘆の息を漏らした。
確か、一億ベリーくらいで売れると聞いた。金に困ってるわけではないが、増えて困るものでもない。だから、これは売りに出すものなのだろうと普通に考えていた。
商品にするのなら、余り触らない方がいいだろう。そう思って実を机に置こうとしたその時だ。
「食べなさい」
「、え……?」
一瞬何を言われたか理解出来なくて、呆然と父を見つめながら言葉を反芻して。漸く理解できた俺は母譲りの細い目を目一杯見開いた。
「とうさん、どうして……え? だって、売るんじゃ……?」
悪魔の実を食べると摩訶不思議な能力を手に入れることが出来る。代わりにカナヅチになるというのは有名な話で、能力者が化け物と人々から恐れられるというのも有名な話だ。
つまり、俺なんかいらないという意味だろうか。
これを食べて、家を出て行けと――そういう事なのだろうか。
問い質したいのに答えが怖くて何も言えなくて。
かと言って、あっさり頷いて食べることも出来なくて。
黙り込んだまま果実を見つめていた俺に、父は静かに口を開いた。
「それは、母さんと二人で見つけてきたものだ」
「、」
「元々は母さんが言い出したことだ。お前に、この実を――と」
それは、つまり。
母さんが、俺をいらないと思ってる――そういうこと、だろう。
あの、過保護な母さんが。
あんなに優しかった母さんが。
すて、られた
みはなされた
じわじわと涙が滲んで、全身が震え出して。
必死に嗚咽を堪える俺の頭に大きな手が乗せられた。
「この実はトリトリの実。トリトリの実にはいくつか種類があるが、これはその中でも特に珍しい。幻獣種――不死鳥だ」
「ふし、ちょう……?」
「お前が生まれた頃から母さんはよく言っていたよ。身体が弱くて、血液型も特殊で……そんなお前がもし大怪我でもしたら、どうやって助けるのかと」
「、」
「半年前、お前が林で熊に襲われたその日に母さんは決意してね。何が何でもこの実を見つけ出すと――これはな、マルコ。どんな傷ですらも再生する能力だ」
「!!」
言葉を失って父を凝視する俺に、彼は僅かに表情を和らげて。
頭の上にある大きな手がぎこちなく俺の頭を撫でた。
「父さんと母さんの、最期の望みだ。マルコ――生きなさい」
どんな大怪我をも再生して。
大丈夫、お前は強い子だ。
優しく微笑む父に僅かに違和感を覚えて、けれどそれを問い質す間もなく実を差し出されたので、ごくりと息を呑み込んで――食らいついた。
この世のものとは到底思えない衝撃的な味に涙を浮かべて、それでも必死に食べて、食べて、食べ尽くして。使用人が持ってきてくれた水を一気に飲み干して。
「父さん、俺――」
「マルコ」
俺の言葉を遮って父が言葉を発した。反論は許さないとばかりに。
「生きてくれ」
「、」
首の裏に衝撃を受けて、そこで俺の意識は途切れた。
次に目を覚ました時、俺は何故か船の上にいた。
そこには俺が赤ん坊の頃から仕えてくれていた使用人が数人一緒にいて、けれど父の姿も母の姿もなかった。
どうして。何があったのかと問い詰めた俺に、彼らは悲しげに眉を寄せて、涙混じりに教えてくれた。
両親が、俺の為に持って帰って来てくれた悪魔の実。
あの実を手に入れる為に、どれだけ無茶をしたのかを。
俺たちが住んでいたあの家は、既に人手に渡ったことを聞いた。
財産は全て取り上げられ、持ち出すことを許されたのは殆ど価値のないガラクタばかり。
父は後始末があるから、と家に残ったのだと言われたが、何となく理解した。
そして、俺を愛してくれた母は――
「……びょう、き」
「はい、お二人で旅をしている途中で……」
いつだって優しくて、いつだって心配そうに俺を見つめてて。
殴られたのはあの時が初めてだった。
あんなに強く抱きしめられたのも、あれが初めてだった。
彼女は、もうこの世にはいない。
そして、おそらく父も――
「………どう、して」
溢れる涙を止める術すら見つからない。
「い、らなかった……! こん、こんな! こんな、ことに、なるなら……」
欲しくなんかなかった。
不死鳥の能力なんかいらなかった。
今まで通り、皆で暮らせればそれで良かった。
幸せ、だったのに。
「っ、う、ああぁ……っ」
もう会えない。
父が死んで、母が死んで、俺だけが不死身になった。
そんなことがあって良いはずがない。
そんなこと、俺は望んでいなかった。
”生きてくれ”
微笑んだ父の顔が瞼の裏に焼き付いて離れない。
”マルコ、愛してるわ”
口癖のように愛を囁いてくれた母の声が、耳にこびり付いて消えない。
涙が枯れるまで、俺はひたすらに泣き続けることしか出来なかった。
広い広い大海原で、ほんの少しの思い出の品を胸に抱きしめて。
懐かしい感覚に意識が浮上した。
俺の背中を優しく撫でる温かい手。頬の下に感じる柔らかい感触。
まるで、あの人に膝枕されているみたいだ。
幼かった、あの頃のように――。
「 」
「はい?」
何か言いました?
降ってきたリサの声にパチリと目を見開いて、俺は驚いて飛び起きた。バサバサと聞こえる羽音に更に驚く俺の視界に映り込んだのは、真っ青な炎を纏う羽。
あれ、俺いつの間に不死鳥に変身してたんだ?
呆然と首を傾げている俺に、その姿で眠っていたんですよ。リサが教えてくれた。
「実はずっと触ってみたくて……」
そっと近付いて撫でてみたら、寝惚けた俺がリサの膝に頭を乗っけて眠り出したとリサは続けた。それから、ずっとそのままでいてくれたらしい。
じゃあ、つまり。さっきの手はリサの手で、さっきの頬の下に感じたあの感触は、あの人のものじゃなくて――
「………!!!」
バサバサッ!!
「あ……、マルコさん!?」
驚くリサの声を背後に聞きながら、俺は真っ青な空へと逃げ出した。 不死鳥の姿になってて良かった。少しくらいは赤い顔を誤魔化せてるはずだ。………たぶん。
甲板から沢山の笑い声が聞こえてくる。
俺がいるのも、数人乗りだった小さな舟ではない。
あの頃と同じように、父も母もいない。それでも。
「グラララ! 何だマルコ、今日は随分と情けねぇ飛び方するじゃねぇか」
俺が『父』と望んだ男がいる。
沢山の兄弟がいる。
大切に想う人もいる。
俺には、愛する家族がいる。
あの人たちが今の俺を見たら何と言うだろうか。
海賊になった俺を軽蔑するだろうか。
それとも、好きにしなさいと笑ってくれるだろうか。
「親孝行なんざ何一つ出来なかった俺だが……これだけは、誓うよい」
生きて、生きて、生き抜いてみせる。
大切なものを護ると決めた。もう誰にも奪わせないと決めた。
あの人たちが、生命と引き換えに与えてくれたこの実の力を使って。
「マルコさんの炎、本当に綺麗ですね」
降り立った俺にリサが笑いかけてくる。
「そりゃ、たっぷり詰まってるからねい」
「? 何がですか?」
親の愛情が。
さすがに照れ臭くてそんな事は言えやしないけど。
笑って誤魔化した俺に、けれど何かを察してくれたのかリサも微笑んだ。
青い愛に包まれて
生きていく。
今日も、明日も、明後日も。