ERRORが泣いている。
俺の肩に頭を押し付けて、ただひたすらに泣いている。
ショックだった。俺だってショックだった。
マルコがそんなことするはずがないって思った。マルコはそんな奴じゃない――それはこの船に乗っている奴らなら全員そう思っているはずだ。
けど、過去だけは。
過去だけはどうしようもない。
誰だってそう、俺だってそうだ。
山賊に育てられた俺はガキの頃から盗みを働いて、善悪なんて考える余裕のない環境で生きてきた。
生きるために。
強くなるために。
自分の望む未来のために。
ERRORは違う。タミも違う。
二人は俺らとは違う綺麗な場所で生きていた。タミなんかは特にそうだ。
タミほどじゃなくたって、ERRORも綺麗な場所で生きていた。だってリサが護っていたから。汚いことは全部リサが引き受けて、ERRORはただ護られて――俺らとは、違う。
分かっていたはずなのに。
泣きじゃくるERRORの頭を撫でながら、俺は自分とERRORの差を見せつけられたような気がして。何だこれ。胸が軋む。
「――俺も、マルコのしたことは、ゆるせねぇ」
良いんだろうか。
俺なんかが、こんな俺なんかが慰めの言葉なんて。
ERRORを慰める資格なんて、俺には無いのかもしれないのに。
「昔の事だからなんて理由で、何も無かったことには出来ねぇよな」
誰のことを言っているのかなんて、そんなの俺が一番よく分かってる。
「だけど、俺は、知ってる」
この船に乗って、一緒に過ごして。
そんなはずがない。そう思ってしまうくらいには、知ってる。
たくさん馬鹿やって、怒られて。殴られて。けど、許された。許してくれた。
”ったく、仕方ねぇ奴だよい”
そう言って笑って、軽い拳骨をもらって。
けど、その後には必ず頭をぐしゃりと撫でてくれる温かい手を、俺は知ってる。そう、知ってた。知ってたんだ。ずっとずっと前から知っていた。知っていたんだとジウが気付かせてくれた。俺とタミに言ってくれた。疑うことなんかないんだ、って。
「ERRORだって、知ってるだろ?」
返事はない。
鼻をすする音に笑みが溢れて、そっと目を伏せた。
「昔の事はなくならねぇ。許される事じゃねぇ。でも嫌いにはなれねぇんだ。俺の知ってるマルコは、俺の兄貴は、厳しくて、オヤジの事が大事で、家族が大事で、そんで、リサが大事な奴だから」
これは思い込みなんかじゃない。マルコは俺らの事を大事に思ってくれてて、リサを大事に思ってる。ERRORだって分かってるはずだ。
たとえ昔がどんなだったとしても。
今は違う。もう、昔のマルコじゃない。昔の俺じゃない。
「………わかんないよ」
震える涙声が呟いた。
「だって、でも、やなんだよ」
父親に良い感情は持てなかった。ERRORは言う。
最初からいなくて、いないのが当たり前で。辛い時だっていなかった。寂しさを覚えた時だっていなかった。リサがERRORを愛すれば愛するほど、ならば何故ここにいないのだろうと疑問に思って。考えることを放棄した。
辛い時も望まなくなった。寂しい時も望まなくなった。いないのが当たり前で。自分にはリサだけがいれば良いと思った。
この船に乗って、家族が増えて。
大切な人が増えて、増えて、沢山増えて。
父親の事なんかどうでも良かった。父になって欲しいと望んだ人がいたから。自分を愛してくれた母を――リサを愛してくれたから。きっと幸せにしてくれると思ったから。
信じたくない。ERRORは言う。
父親だったなんて。父にと望んだ人が、望む事を止めた父親だったなんて。
受け入れられない。ERRORは言う。
いやだ。そんなの、いやだ。ぜったい、いやだ。
分かんねぇ。
どうしたら良いんだ。
だって、分かる。分かってしまう。ERRORの気持ちが。
俺だって父親が嫌で。嫌で、嫌で、嫌で。だからERRORが父親を嫌う気持ちが痛ェほどに分かる。
けど、それでも。
勝手だって分かってる。俺が乗り越えられてねぇのに、ERRORに乗り越えろなんて最低だ。
なぁ、でも。それでも。
「ERROR」
深く息を吸って、吐いて。ERRORを呼んだ声は震えていた。
その事に気付いたのか、泣き腫らした顔のERRORが俺を見る。
分かんねぇ。分かんねぇんだ。
でも、それでも。だから。
「俺も、自分の父親が嫌いだ」
きっと、今しかない。
今じゃねぇと、たぶん、駄目だ。
「あいつの所為で世界中から憎まれて、あいつの所為で俺は生きる場所もなくて……何の為に生きてんのかも分かんなくて、オヤジの言葉だって信じられなかった。――だけど、」
だけど、マルコが言ってくれたから。
世の中から嫌われて、憎まれて――そんなどうしようもない俺でも、嬉しいと思って良いんだって。
それは許される事なんだって。許してくれるって、そう言ってくれた。
「……なんで、そんなはなし、するの」
「良いんだ。ERROR、お前、好きにすりゃ良いんだよ。腹が立ったなら殴ってやりゃ良い。悲しかったならそう言ってやりゃ良い。こんな風に一人で泣く必要なんかねぇんだ。マルコのとこ行って、そんで、マルコの前でずっと泣いて文句言ってやりゃ良いんだよ」
だって、マルコはそれを許してくれる。
自分がどんなに苦しくたって、嫌だと思ったって、ERRORがそれを望むなら必ず叶えてくれる。
俺にそうしてくれたように。ERRORにだって、絶対。
だって、マルコはERRORの事がすげぇ大事だから。
「俺は殴ってやりたかった。何十発も、何百発も、殴ってやりたかった。でも、あいつはもういねぇから出来ねぇ。ERRORは違うだろ。いるじゃねぇか、すぐ近くに。殴ってやりゃ良いんだよ。気が済むまで殴って、それでも気が済まなかったら俺もぶん殴ってやる!」
拳を掲げて笑ってみせた俺をERRORはじっと見つめて、
「何でエースまでなぐるの」
そう言ってちょっとだけ笑った。
悲しみを残して笑うその顔が、夕方に見たマルコの泣きそうな笑い顔と重なる。全然似てねぇのに、何で似てるなんて思ったんだろうか。
きっとマルコは存在を否定されるよりも正面から罵倒されて憎まれた方が救われるはずだ。真っ向から立ち向かってお前なんか最低の野郎だ、って泣かれた方が、きっと髪の毛ほどの細さの希望をその手に掴むことが出来るに違いない。
立ち向かってくれなきゃ築き直せない。確かに今、俺はERRORと同じ感情を共有できる。でもERRORと俺とは違う。俺には無理だったけれどERRORはまだ、やり直せる。間に合うんだ。
リサと。
マルコと。
みんなと。
自分の家族を修復できる。
やり直せる。
やり直したいんだ、みんなで――。
泣き疲れたのか、眠ってしまったERRORをベッドに寝かせて医務室を後にした俺は暗く静かな廊下を歩いていた。いつも誰かしらの気配を感じるのに、この時ばかりはそれがない。きっとドクターかエリザ辺りが気遣って人避けをしてくれたんだろう。
ERRORは大丈夫だろうか。最後には笑ってくれたけど、きっとまだまだ泣き足りないはずだ。
マルコの事は簡単に赦せたりしないだろうし、リサとだって話をしてない。まだまだ問題は山積みのままだ――無意識に漏れた溜息が静かな廊下で反響する。手のひらを見るとじっとりと湿っていた。あぁ、そうか。俺はこんなに緊張してたのか。
気を紛らわせようと甲板の方へ足を向けると、階段に差し掛かる曲がり角の陰に、壁に背を預けて俯き加減に足元を見つめるタミの姿を見つけた。この暗く静かな廊下に溶け込むようにひっそりと佇むタミには、いつものような脳天気な明るさが見当たらない。声をかけるのを躊躇って立ち止まると、そんな俺に気付いたタミが顔を上げた。
「ERROR、どうだった?」
引き結ばれた唇を微かに震わせ、そっと囁かれた声。
暗闇の中で内緒話でもするかのような、静かな声だった。
「寝ちまった。疲れたんだろ」
つられるように声を落として答えると、短い頷きがころりと落ちた。
いつもより一歩分多くあいた俺らの間に沈黙が落ちる。沈黙は痛いのだと初めて知った。普段は感じたことなんか無いのに、今はタミとの二人の空間がどこか居心地悪く感じる。
「聞かねぇのか?」
「ん?」
「何話したか、聞かねぇのか――?」
沈黙に耐え切れずに発したその問いには、笑みだけが返ってきた。
いつもは本当に俺より年上なのかと疑ってしまうような無邪気な笑いを浮かべてるくせに、こんな時ばかり、年上らしい笑みを浮かべている。ほんの数時間前までは俺の隣でビービー泣いてたくせに。
何でか分からねぇけど、タミのその笑顔を見たらまたこみ上げてくる。そんなのずりぃよ、タミのくせに。誤魔化すように俯いて唇を噛んだ。
「また、前みたいに、戻りたい」
ぽつりと落とした呟きには縋るような響きがあって、ますます顔が歪む。あぁ、くそ。帽子を目深に押し込んで隠そうとするけれど、きっともうバレてるんだろう。
情けねぇ。ERRORには大口を叩いたくせに。大丈夫だと思ったんだ。ジウが言った事がすとんと俺の中に入ってきて、泣いて。そんで、もう大丈夫だと思った。
なのに、俺は今またこうしてタミに弱音を吐いてる。何だよこれ、止めろよ――そう思うのに、制御を失ったかのように俺の口が勝手に言葉を紡ぐ。
「戻りてぇ」
頷いてくれると思ってた。タミも俺と同じ気持なんだと思ってた、のに。
「私は――戻れないと思うよ」
弾かれたように顔を上げた。どうして。そう思って顔を上げた先で、タミは笑っていた。
俺の望みを否定したくせに、そこには優しい笑顔があった。
「きっとね、元には戻れない。前みたいにいるのは無理だよ」
でもね。何も言い返せない俺にタミが続ける。
「もっと良くなるんだよ――正直にぶつかって、お互いに曝け出し合って、怒って、叫んで、傷ついて。それで理解して、もっともっと分かり合える。本当の自分の姿で向き合えると思うんだ」
優しげに細められた目が、まるでぎらついた獣の目のような錯覚に陥る。
そこには絶対的な自信と信念があるような――身震いするほどの迫力が、自分よりも小さくて非力な存在から発せられてる気がした。
けれど、それも一瞬で。
「でも、その前にマルコさんにはもっとたくさん反省してもらわなくちゃね」
ニッと、少しだけ尖った八重歯を見せて笑うタミはいつものタミだ。
気の所為だったんだろうか。首を傾げてタミを凝視するけど、そこにいるのは、やはりいつものアホ面で笑うタミで。
「――あぁ!!」
同じように笑い返して、ふと窓ガラスに映る俺たちの姿を見た。
いつも一緒にいるからだろうか、笑った顔がどこか似てる。じっと窓を見つめる俺に気付いたタミも窓へと視線を向けて、ガラス越しにまた目が合うとタミが笑う。やっぱり似てる。意識した事はねぇけど、もしかしたらサッチやマルコ、リサやERRORたちとも似てるのかもしれない。
「ま、俺はそんなアホ面で笑ってねぇけどな!」
「何それ! 意味分かんない!」
いきなり何なんだよ、もう!と叫ぶタミに、俺は声を上げて笑った。