02


”あとは俺だけでいい”

ERRORの眠るベッドに突っ伏して寝こけているエース隊長に毛布をかけたところでドクターがそう言った。この後の為に人払いをしておきたいのだろう、私はサンドラさんについて医務室を後にした。
負傷した――といっても掠り傷程度の小さなものだ――クルーたちの手当てを頼まれ、一足先に医務室を出て行ったエリザさんたちの元へ行ったけれど、さすがエリザさんと言うべきか。手当は既に終わっていた。

「あら、もう良いの?」

甲板に出てきた私たちを見て微笑んだエリザさんに素直に「追い出されました」と述べれば、ケラケラと楽しげな声が返ってくる。

「そう、追い出されちゃったの」
「そう遠くないうちに目を覚ますだろうし、人払いしておかないとね」
「そうですね、これから大変でしょうから」

色々と。そう付け足した私は一体どんな表情をしていたのだろうか。
そっと目を伏せたエリザさんの呟きは聞き取ることは出来なかった。ただ、その表情を見るに、きっとマルコ隊長とかリサさんとかを思い浮かべていたのだろうと思う。先ほどの独り言は「仕方のない子たちね」とかそんな感じだろうか。年齢不詳のこの人は船長が息子、娘と呼ぶ誰をも自分の子のように思っているようだから。

「ご苦労様。カルテはあの人がやっておくでしょうから、後はもう自由に過ごしたら良いわ」
「そうね……お言葉に甘えてのんびりする事にするわ」

エリザさんの言葉にサンドラさんがふぅ、と一息ついて肩を竦めた。医務室はこれから暫く立ち入り禁止の札でも掛けられるのだろう。

詰所に戻ることも考えたが、どうせすることもないのだと部屋に戻ることにした。ふと身体を見下ろせば、タオルから染み込んだのだろう赤が薄らとナース服に色をつけていた。元の色より仄かに赤みを帯びた箇所にそっと触れながら、未だ目を覚まさないERRORの姿を思い出す。

「シュガー」

私の思考を遮るように口を開いたサンドラさんが私の左手を掴んだ。不意に走る痛みに僅かに顔を顰めれば、サンドラさんは「さっきはそれどころじゃなかったものね」と申し訳なさそうに微笑む。

「手当てしましょう」
「そんなに酷いものでは……」
「あら、貴方がそんなことを言うの?」

サンドラさんに見つめられて言葉に詰まる。分かっている。いつも私たちが言っていることだ。例外はない。

「……お願いします」
「いい子ね」

この人は私を何歳だと思っているのだろうか。
実年齢を知っているくせに、時折こうやって私を子どものように扱う。妹を甘やかしたいのよ、と言われたことがあるけれど、おそらく逆なんだろうと思う。きっと、私が甘えられるようにしてくれているのだ。酷くくすぐったくて、とても暖かくて、嬉しくて。手首に包帯を巻いてくれるサンドラさんの優しい顔が、ERRORたちを見つめるリサさんの顔と重なった。同時に、現在の状況を思い出して溜息が漏れる。

「………大丈夫でしょうか」
「大丈夫よ」

不安な気持ちが表れた私の声は、自分でも驚くほど暗い。けれど間髪入れずに返ってきた答えは余りにも明るく、見上げたエリザさんの顔も声と同じくらい明るかった。

「けど、」

目を覚ましたERRORはマルコ隊長が父親だと知るのだろう。部外者――と断じてしまうのは気が引けるが、ある意味ではそうだ――のタミやエース隊長でさえあんなに取り乱したのだ。ERRORだって同じはずだ。
それに、ハルタ隊長の話によればERRORはマルコ隊長とリサさんの仲を応援していたらしい。裏切られたと、そう考えてしまっても無理からぬことなのだろう。

これから先、この船は荒れるのだろう。
太陽のように眩しい彼らの笑顔は曇り、船を包む空気は重く苦しいものになるのかもしれない。
考えただけで苦い気持ちでいっぱいになる。

「大丈夫よ」

そんな私の考えを読み取ったのだろうか。そっと私の肩に手を置いたエリザさんが力強く頷く。

「……そう、ですね」
「そうよ」

心配は要らない。そう笑うエリザさんに、ほんの少しだけ心が軽くなったような気がした。

自室へ戻る為に船室に続く扉を潜ると同時に、不意に誰かの手が私の腕を掴んだ。
加減が足りないその手の力強さに僅かに眉を寄せると、それに気付いたのか「悪ィ」という呟きと共に腕を掴む力が緩む。

「どうしたんですか? フォッサ隊長」
「どうした」
「それを聞いてるのは私です」

フォッサ隊長の口に銜えられている葉巻を見咎めると、フォッサ隊長は小さな舌打ちと共にそれを床へと落として踏みつけた。掃除が大変ですよ、と言うのはこれで何度目だろうか。何度言ったって、この人は煩わしそうな顔をするだけで聞きやしない。

「そんな所にいたら邪魔よ。特にフォッサ、貴方やたら図体がでかいんだから」

話なら別の場所でしなさいな。
扉の前で立ち止まる私たちの元へやって来たエリザさんが、どこか含みのある台詞を放つ。隠しきれない楽しげな響きに気付いてしまえば、その笑みもどこか揶揄を含んだものにしか見えなくて。私がそう思ったのだから、当然フォッサ隊長も気付いたのだろう。

「そりゃ悪かったな」

ガシガシと頭を掻いた手をポケットに突っ込み、未だ掴んだままだった私の腕を引っ張ってスタスタと歩き始める隊長に半ば引きずられるようにして歩き出した私は、後ろから聞こえる楽しげな笑い声に居た堪れない気持ちになりながら、ただただフォッサ隊長に続くしかなかった。

「フォッサ隊長、ちゃんと服についた汚れを払ってください」
「一々言うな、分かってる」
「信じられません」

既に前科があるのだから。目で訴えればフォッサ隊長は気まずそうに視線を泳がせ、無言のままパンパンと服を叩いて汚れを落としていった。服についた汚れの大半は葉巻から落ちる灰だ。いくら海賊といったって、ほんの少しくらい身だしなみに気を付けたって罰は当たらないだろうに。

「どうぞ」

差し出したタオルで手を拭いたフォッサ隊長は、やれやれと溜息を漏らしながら「合格か?」と両手を広げてみせる。

「えぇ、合格です」
「そりゃ良かった」
「どうぞ」

部屋の戸を開けて促すと、頭をぶつけないようにと身を屈めながらフォッサ隊長が部屋に入ってくる。
初めてこの扉を潜った時に盛大にぶつけた事を思い出し、少しだけ笑みが漏れた。その気配に気付いたのだろうか、振り返った隊長の恨めしげな視線が突き刺さってくる。

「お酒は出しませんよ」
「出るとも思ってねぇよ」

戸棚からグラスを二つ取り出そうとして、包帯の巻かれた手首に痛みが走る。顔を歪めたことに目敏く気付いた隊長が、私の代わりにグラスを取り出した。

「すみません……」

備え付けの冷蔵庫からボトルを取り出して茶を注ぐフォッサ隊長は、気にするなと言うように私の頭をくしゃりと撫でた。

「しかし飽きねぇな、お前も」
「お酒は飲み過ぎると身体に悪いですが、健康茶は身体に悪くありませんよ」

何度言ってもお酒の量が減らないこの人に、半分くらいは嫌がらせのつもりで買ったこの健康茶だが、一緒に飲んでいるうちに私の方が好んで飲むようになってしまった。
船長にも飲ませたいくらいです。グラスを受け取りながらそう続けた私に、フォッサ隊長は声を上げて笑う。

「オヤジがこんなモン飲むわけねぇよ」
「可愛い息子が渡せば飲むんじゃないですか?」

言外に貴方から渡せと言ってみても、この人は笑い飛ばすだけ。

「飲みてぇモン飲んで何が悪い」
「だから、――はぁ……もう良いです」

何を言っても無駄だということくらい、本当は分かっているのだから。
くつくつ笑う隊長をじとりと睨み付けていると、突然フォッサ隊長が何かに気付いたように顔を上げた。

「どうしたんですか?」
「いや……」

耳を澄まして窺うように扉を見つめる隊長に釣られてそちらを見れば、廊下から聞こえてくる足音。ヒールの音とは違うこれは、おそらく男性のものだろう。

「本当に、どうしようもないですね」

よりによってこんな時にナースの居住エリアに忍び込むなんて。
呆れを滲ませながら溜息を漏らしたその時、廊下から聞こえた足音は何故かこの部屋の前辺りで足を止めた。
そして響くのは、控えめなノックの音。思わずフォッサ隊長を振り返って、無言のまま互いに見つめ合う。

「………はい」

扉をじっと見つめながら返事をすれば、驚いたことに聞こえてきたのはエース隊長の声だった。返ってくる台詞も「あの、俺……エース、です」と、どこかぎこちないもの。フォッサ隊長が噴出しかけて慌てて口を塞いだのを尻目に、そっと扉へと向かう。
僅かに扉を開いて顔を出せば、初めて来る居住エリアに戸惑っているのか、忙しなく視線を泳がせるエース隊長が焦ったように口を開いた。

「あ、の、」
「……何でしょうか」
「その……えっと、だから……あー、俺に、毛布、かけてくれたって聞いて、その……あり、がとう……」

居た堪れなくなったのか、帽子を目深に被って俯いてしまったエース隊長。
まさか、わざわざそれを言う為にここへ?尋ねる為に口を開きかけると、それを察したかのように顔を上げたエース隊長がぐっと眉根を寄せながら私を見つめた。

「あの……?」
「………その、さっきは、ごめん」
「え?」
「………それ」

隊長がおずおずと指した先には、包帯の巻かれた私の手首。医務室でエース隊長に振り払われて転んだ時に捻ったものだ。

「………ごめん、俺……ERRORのことで頭いっぱいで……」

すぐに謝らなくてごめん。
突き飛ばしてごめん。
痛かったよな。
ERRORのこと、助けようとしてくれてたのに。
俺が邪魔してたのに。
ごめん。ごめんなさい。

深く頭を下げて謝罪の言葉を連ねていくエース隊長を慌てて止めると、顔を上げた隊長はまるで捨てられた子犬のような顔で私を見上げてきた。今にも泣きそうに揺れる目に思わず苦笑が漏れる。

「怒ってません」
「けど、」
「じゃあ――」

エース隊長の声を遮って続ければ、エース隊長は何かを言いかけた口を閉じてじっと私を見つめる。

ERRORの傍にいてあげてください」
「……今は、マルコが……」
「なら、尚の事です。貴方が行かないで、誰がERRORの傍にいるんですか?」
「、」

目を見開いたエース隊長は呆然と私を見つめて、やがていつもの陽だまりのような笑顔を浮かべた。

「だよな!」
「医務室で煩くしたらダメですよ」
「おう! ありがとう!!」

廊下は極力走らないように――次にエース隊長に会ったらそう言おう。
猛スピードで去っていくエース隊長の背中を見送りながら、そんなことを思った。

「俺が知らねぇ所で色々あったみてぇだな」

扉を閉めると気配を殺していたフォッサ隊長が私の手首に巻かれた包帯を指して言う。

「特に言うようなことでは……」

フォッサ隊長の隣に腰を下ろしながら言えば、私の手を取って包帯をそっと撫でた隊長が「エースの奴にも困ったもんだ」なんてぼやく。

「医務室でERRORの手当てをしてたはずのお前が、何で包帯巻いてんのかと思えば」

僅かに苦味を帯びた顔で漏らすフォッサ隊長を見て、さっき甲板で言われた「どうした」がこの手の怪我のことを言っていたのだと漸く気付く。そうか、この人は怪我の心配をしてくれていたのか。気付いてしまえば途端に煩くなる鼓動。こんなことで動揺してしまう自分が馬鹿らしくて、それでもやはり嬉しい気持ちは止められなくて。

「意外と心配性なんですね」
「どんなことだって知りてぇさ、お前のことならな」
「、お、思ってもないことを口にしないでください」

ふいと顔を背けるとフォッサ隊長が喉を鳴らす音が聞こえてくる。あぁ、悔しい。

「………貴方はずるい」

顔を背けたまま零せば、大きな手が私の肩を抱き寄せて厚い胸板にぐっと顔を押し付けられる。

「海賊なんでな」

降ってきた声はやっぱり笑っていて、けれどどこか甘くて優しいものだった。