イゾウさんに促されて入った医務室で、私はエース君の隣で膝を抱えていた。
マルコさんを見ることが出来なくて、リサに何かを言うことも出来なくて。ただただ首を振って否定して泣くことしか出来なくて。そんな自分が情けなくて、最低で。
暫くして、医務室のドアが開いてサッチさんとリサが戻ってきた。けどやっぱり私は顔を上げることが出来なくて、逃げるように膝を抱える腕に力を込めて益々小さく縮こまった。情けないと思う。でも、やっぱり嫌なんだ。そんなの、理解出来ない。
だって、ERRORの父親はマルコさんだった。
だって、ERRORの父親は最低な人だった。
二人が同一人物だなんて、そんなの信じたくない。
あのマルコさんが、そんなの、嫌だ。
誰かの視線を感じたけど、顔を上げるなんて出来なかった。
廊下からまた足音が聞こえて医務室の戸が開くと、隣に座るエース君が小さく息を呑んだ音が聞こえた。それだけで誰が入ってきたのか分かる。マルコさんだ。
「――リサ」
マルコさんの硬い声がリサの名を呼ぶ。
「話が、してぇ」
「……はい」
誰も声を発せない中で、マルコさんとリサが言葉を交わす。マルコさんの声にいつもの優しさはなくて、リサの声にもいつもの温かさがない。事務的なそのやり取りが無性に悲しくて、不安で、怖くて。
「っ、俺は!」
涙の滲んだ目を腕に押し付けた時、隣のエース君が声を上げた。エース君の声も硬くて、苦しそうで、悲しそうで。静まり返った医務室にエース君の今にも泣きそうな声が響く。
「俺は……家族としての、アンタが好きだ……けどっ、」
何度も閊えながら必死に言葉を紡ぐエース君に誰も何も言わない。
イゾウさんも、サッチさんも。リサも、マルコさんも。
「………男としてのアンタは、最低だ……」
「………あぁ」
否定も弁解もしないマルコさんに、エース君の拳にぐっと力が篭ったのが見えた。そっと窺うように隣を見ると唇を噛み締めたエース君の今にも泣きそうな苦しげな顔が見えて、私まで悲しくなってまた涙が溢れた。
エース君が黙り込むと、マルコさんはそれ以上何も言わないまま医務室を出て行って、リサもすぐ後に続いた。これから二人は話をするんだろう。これからどうなるんだろう、とか、ERRORはどうするんだろう、とか、もう頭がぐちゃぐちゃで何も考えたくなかった。
「………大っきらいだ」
隣から聞こえたか細い声にまた涙が溢れる。
あんなに、あんなに大好きだったのに。楽しかったのに。皆でいっぱい笑って、それが幸せで、それなのに。
マルコさんは最低だ。酷い。ずるい。何で、何でよ。
詰める言葉ばかりポンポン浮かぶのに、思い出すのはマルコさんの笑った顔とか、訓練が終わった後に「よく頑張ったな」って頭を撫でてくれた温かい手とかで。
「お前が」
不意に聞こえた声に顔を上げると、滲んだ視界にこちらを見つめるジウ君の姿が映った。
「お前たちがこの船に乗る前に生きていた過去があるように、マルコ隊長にだって過去がある」
私とエース君に言い聞かせるようにジウ君は言った。
「俺は前にお前に言ったよな、この船の奴らは大丈夫だって」
言った。ジウ君はそう言って私を慰めてくれた。
ERRORの父親の話を聞いた時、あの島で酷い男の人たちを見た時。
この船には、オヤジ様の息子たちはそんなこと絶対にしない、って。私も、そうだって信じてた。
けど、けど違った。マルコさんは違った。
「俺は今でもそう思ってる」
「、でも」
「俺が知ってるマルコ隊長は、そんなことしねぇよ」
けど、したじゃんか。リサに、ERRORに。
私の責めるような視線を真っ直ぐに受け止めるジウ君は怯む様子もなく続けた。
「それぞれ生きてんだ、そりゃ人に話せねぇ後暗い過去を持ってる奴だっているだろうさ。あの人が過去にやったこと全てが誇れることなわけじゃない。ただでさえ海賊だ、非道なことも卑怯なことだってしただろう」
「そん――」
「それはあの人だけじゃない、俺たち皆に言える。人に褒められるような生き方ばっか出来ねぇから、俺らは海賊なんてもんになってんだ」
ジウ君の真っ直ぐな視線から目が逸らせない。
何か言わなきゃいけないって思うのに口を開いても言葉が出てこなくて、代わりに涙ばかり溢れてくる。
「俺が知ってるマルコ隊長は誰よりもオヤジを慕ってて、兄弟たちを大切にしてて、強くて、頭が良くて、頼りになる兄貴で……過去なんて関係ねぇんだ。過去にどんな酷ェことをしてたとしても、今のあの人とは違う。俺は今の隊長を尊敬してる」
なぁ、タミ。なぁ、エース。
ジウ君の静かな声が私とエース君の名を呼ぶ。知らぬ間に震えていた手を強く握り締めたら、何だか少しだけ息が楽になったように思えた。
「お前らが今まで見てきたマルコ隊長は、どうだったんだ?」
私が、見てきた――
「マルコさん、は……、口が悪くて、怒りっぽくて、」
いつも怒られてた。いつも殴られてた。
でも、いつだって私の話をちゃんと最後まで聞いてくれた。
「怒鳴るし、偉そうだし、変な髪形してて、いつも不機嫌そうな顔して、て、」
言葉が喉に閊えて上手く出てこない。
気持ちを落ち着かせる為に何度も深呼吸を繰り返して、必死に声を絞り出した。
「い、意地悪で……っ、優しくて、世話焼きで……っ、」
親父さんを尊敬してて、
家族が大事で。
それで――
「………リサが、」
目を閉じれば、見飽きるくらい見慣れたマルコさんの優しい顔が浮かんだ。
私には顰め面ばっかりなのに、リサに向いた時だけすっごい優しくて。
リサにかける声は優しくて、温かくて。
「っ、リサが、だいすきで……っ!!」
隣から伸びてきたエース君の手が私の手に重なった。見ればエース君も私と同じくらい酷い顔で泣いてる。
「、だいすきだよぉ……!」
とうとう堪えきれなくなって声を上げて泣き出した。
子どもみたいに泣く私に、ジウ君たちはきっと呆れた顔で笑っているんだろう。ふと顔にかかった影に気付いて目を開ければ、目の前にしゃがみこんでいたサッチさんの大きな手が私の頭に乗っかった。
「よく頑張りました」
「ぎゃっ」
そのままぐっしゃぐっしゃと頭を撫でられて思わず声が上がる。隣からも聞こえたから、きっとエース君も私と同じように頭ぐしゃぐしゃにされてるんだろう。
「俺らが言わなくても、アイツは自分を赦したりしねぇだろうから……だから、俺らは温かーい目で見守ってやろうじゃねぇか」
な?覗き込むようにして見つめてくるサッチさんに頷きを返して隣を見れば、涙を拭ったエース君がいつものように笑っている。それにつられるように私も笑って。
さっきまでの重苦しい空気が和らいでいくのを肌で感じた。そのことにまたホッとして息を漏らしたその時、医務室中に広がるぐーきゅるるるという音。二重に重なった音の出どころの一つは私で、もう一つはエース君だ。
「ったく……」
「ほんと、期待を裏切らねぇ奴らだよな」
イゾウさんとロナン君の呆れたような声に照れ臭くなって「にしし」と笑えば、エース君も照れ臭そうに鼻を掻いて笑う。相変わらず鳴り続けるお腹をさすって、また顔を見合わせて。
「サッチさん、お腹減った!!」
「サッチ、腹減った!!」
私とエース君は、目の前のサッチさんに一斉に飛びかかった。