06


「今日は仕事禁止! たまにはゆっくり休む事!!」

隊長命令だから!なんて言われてしまえば逆らう事など出来ない。何もすることが無くなってしまった私は、取り敢えず甲板へとやって来た。いつも昼食の準備で忙しかったから、午前中に甲板に出るなんて初めてかもしれない。甲板では二番隊、十六番隊の人達が訓練をしていた。
エース君やERROR達が楽しそうに身体を動かしてる。こうしてみると、ERRORは他の船員達に引けを取らないくらい強くなってるみたいだ。

船縁に背を預けて膝を抱え、皆が汗を流しているのを眺めた。今日は少しだけ曇っていて、こうして座っていても苦ではなかった。心地良い風が頬を撫でると、自然と瞼は重くなっていく。

あぁ、皆が頑張ってるのにお昼寝なんて悪いかなぁ。そう思うのに、睡魔に抗えずに私の意識は夢の世界へと飛び立っていった。




あの頃の私は人間ではなかった。命令されるがままに動くだけの人形だった。

「このグズ!! 何度言ったら分かるの!!」

少しでもミスを犯せば飛んでくる罵声。鞭が飛んで来る事は無かったけれど、代わりに辛辣な言葉を浴びせられた。

「完璧じゃなきゃ意味が無いのよ!!」

「あの人の娘だと認めさせなきゃ……!」

「あの女には負けられない……!」

地主である父の愛人だった母は、本妻に勝つ為に徹底した教育を私に施した。跡継ぎが一人もいなかった事がそれに拍車をかけていたのだろう。過剰な期待を寄せられた私は分単位で行動を制限されてありとあらゆる事を叩き込まれた。不可能な事を作ってはならない。出来ない事があってはならない。誰かに弱みを見せてはならない。

人間などではなかった。私は、母親の人形でしかなかった。

人形として生きてきた十数年間。それは呆気なく終わりを迎えた。本妻が子供を身篭ったのだ。男だろうが女だろうが関係無い。愛人である母の子が男だったのなら、まだ可能性はあったかもしれない。本妻の子が女であれば跡継ぎ候補として数えられていたかもしれない。けれど、私は女だった。本妻の子が女だとしても、何の意味も持たない。

つまり、私は用済みとなってしまったのだ。そしてそれは母にも言える事だった。見限られ、呆気なく棄てられてしまった。

「どうして……っ!」

「どうしてどうしてどうして!!」

絶望した母の全ての感情の矛先は私に向けられた。

「アンタが男じゃないから……っ!」

「グズだから!」

「この出来損ない!!」

「お前なんか……っ!!」

「消えてよ! 私の前から消えて!!!」

その言葉に憤る事すら、私には出来なかった。思い付きもしなかった。だって、私は人形だったから。彼女の言うままに家を出て、他の島へと向かう船に乗り込んだ。
何処へ行けば良いのかなんて分からなかった。何をすれば良いのかも分からなかった。自分がどうしたいのか、私は知らなかった。自分の事だというのに、私は自分の事を何一つ知らなかった。

「綺麗な顔してんじゃねぇか」
「こりゃ高く売れそうだ」

人攫いに捕まって、ヒューマンショップへ連れて行かれるのだと聞いても、私は何もしなかった。逃げたいとは思わなかったし、どうしたら良いのか分からなかったから。命令してくれる人はもういなかった。男達に組み敷かれながら、私は、あの人の奴隷だったのだと気付いて嗤った。

「何してんだよい」

突然聞こえた声と、倒れていく男達。地に伏せた男達の中、ただ一人、彼が立っていた。呆然と見つめている私の前にやって来た彼は、訝しげな顔で私を見下ろしていた。

「何で逃げねぇんだよい」
「………だれも、めいれいしなかったから、」
「そうかい」
「どうして、たすけたの?」
「ただの気紛れだい」

そう言って私の前にしゃがみ込んだ彼は、肩に届くか届かないかの長さだった私の髪に手を伸ばして簡単に整えてくれた。

「名前は?」
「………ない」
「そうかい。これからどうすんだ?」
「わからない……なにも、いわれてない……」
「お前ェは言われなきゃ何も出来ねぇのかよい」

嫌悪の混じった声に、それでも私は頷く事しか出来なかった。それしか教えられていなかったから。

「そうかい」

突然反転する視界。彼の向こうにはさっきと同じように薄暗い天井が見えていた。

「助けてやったんだ、礼くらい寄越せ」

返事を待たずに手首を押さえ付けられて、勝手に始められた行為。経験がある訳でも、それについての知識を持っている訳でもなかった私は、時々不快感に顔を顰めながら彼を受け入れた。痛くて仕方なくて強く目を瞑って耐えていた私の頬に彼の手が触れた。そっと目を開くと、私を見下ろす彼の顔。

「痛ェかよい」
「………は、い」
「なのに、泣きもしねぇのかい」
「な、くと……おこられる、から……」
「誰に?」

母だと答えると、彼はそれを鼻で嘲った。

「お前の母ちゃんが何処にいるってんだ」
「、え……?」
「ここにいんのは、俺とお前とそこら辺に転がってる奴らだけだろうが」

泣いても怒る人はいないのだと、彼は言った。

「ここには命令する奴なんかいねぇ。くだらねぇ事考えてねぇで好きに生きろい」
「ど、すれば、いいか、わからな……」
「そんくれぇ考えろい。分かんねぇからって諦めてんじゃねぇ。俺ァそういう甘ったれた奴が大嫌ェだ。地べた這い蹲ってでも生きやがれ」

そう言ったきり、彼は何も言わず行為を再開した。暫くして、行為が終わって私から離れると彼はさっさと立ち上がって行ってしまった。乱れたままの服を整えて、私は何故か彼を追いかけていた。痛む身体に顔を顰めながら追いかけると、彼はすぐに見つかった。

「ま、って……!」

少し先で振り返った彼の表情は見えなかった。けど、構わなかった。

「わ、たし、ど、すればいいか、わからない……っ、きえろっていわれて、どこに、いったらいいかわからない、わたし、は……わたし、も、いいの?」

『人間になっていいの?』

彼はゆっくりと私の所にやって来て、大きな手で私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「俺ァ、人間以外を抱く趣味はねぇよい」
「もし……っ、もし……生きてたら……ひとりででも、生きてたら………そしたら、またあえますか?」

私の頭に手を置いていた彼は、軽く頭を叩くと再び私に背を向けた。

「生きてみりゃァ分かんだろい」

それきり、彼は振り返る事なく行ってしまった。彼の子がお腹にいるって分かったのは三ヶ月後。怒りも悲しみも無かった。根拠なんて無いけれど、このまま生き続けていればまた彼に会う事が出来るって確信していた。

『コイツの事知ってんの?』

再会は突然で、彼は私の事を全く覚えていなかった。けど、それで良いと思った。あの頃の私を覚えられていても困る。恥ずかしすぎて嫌だ。こうして再会して、私があの時の女だって気付かれていないって事は、それだけ私が変われたって事だと思うから。




何かに頭を撫でられてる気がして目を開けると、驚いた顔の彼がいた。あの頃より少しだけ老けた彼は「起こしちまったかい」なんて優しく笑う。あの頃には見れなかった笑顔を、今はこんなに沢山見せてくれる。

「寝るつもりは無かったんですけど……今、何時か分かりますか?」
「もうすぐ昼飯の時間だよい。今日は休みかい?」
「はい、サッチさんが『今日は仕事禁止』だって……」
「サッチもたまにゃ良い事言うじゃねぇか」

そう言って笑うマルコさんを、立てた膝の上に手を重ねて頭を置きながらじっと見つめた。あの頃、私に未来をくれた人。人形だった私を人間だって言ってくれた人。ERRORがお腹にいるって分かってからは本当に大変で、けど、自分が人間なんだって思うことが出来た。人形として育った私が母親になれるのか不安で堪らなかったけど、死にもの狂いで生きてきた。

「俺の顔に何かついてるかい?」

私の視線に気付いたマルコさんが照れ臭そうに笑う。そんなマルコさんに、私は小さく首を振った。

「カッコイイなぁ、と思って」

目を見開いたマルコさんの温もりはまだ私の頭にあって、それが心地良くてもう一度目を閉じた。

「マルコさん、」
「何だい?」
「ありがとうございます」
「ん?」

目を開けると、首を傾げるマルコさん。

「礼を言われるような事したかい?」
「何回ありがとうって言っても足りないくらい」

何だろうかと首を傾げるマルコさんに、私はもう一度「ありがとう」と呟いた。
貴方のおかげで、今、私は生きています。