”答えは出たか?”
たった一言のみの手紙。
ルシウスにしては酷く簡略的で、捉えようによっては焦っているようにも見える。
それとも、その程度にしか思っていないということなのだろうか。
答えを出しあぐねている時点で、彼にとってのセブルス・スネイプへの評価は格段に落ちたに違いない。
イエスと答えれば受け入れられて、ノーと答えれば殺される。
それでも。スネイプは思ってしまったのだ。
それが寮に対する裏切りだとしても。
それが友人に対する裏切りだとしても。
それが先輩に対する裏切りだとしても。
ルーシーと共にありたい、と。
答えは出ている。けれど、未だに返事を書けずにいる。
生死を左右する問題だ、そう簡単に返事を書けるはずもない。
”すみません”
ただ一言だけを書いた羊皮紙を丁寧に畳んで、ポケットへとしまう。
この手紙を出したら、逃げなければならないのだろう。
その時はルーシーも共に逃げてくれるだろうか。二人で、どこか遠くへ。
その為には話をしなければならない。
もう逃げ続けるわけにはいかないのだから。
望まずとも巻き込まれてしまったスネイプには選択肢は少ない。
死喰い人として生きるか。
逃亡者として生きるか。
裏切り者として殺されるか。
裏切り者として戦うか。
生存確率は一体どれほどのものなのだろうか。考えて自嘲する。
考えたって仕方がないではないか。
もう既に答えを出してしまったスネイプには、ただただ走り続けることしか出来ないのだから。
独りで逃げるのが最善なのだろう。
けれど、もし、許してくれるのなら。
「どうか、」
どうか、僕と共に逃げてください。
どうか、君の未来を僕にください。
どうか、どうか、どうか。
不安がないと言えば嘘になる。
けれど、見えてしまうのだ。
幸せそうに笑って、頷いてくれる彼女の姿が。
「ルシウス、例の件はどうなっている?」
静かな声が薄暗い部屋に広がる。
拡声器を使わない声は耳を澄まさなければ聞こえないほどの声量だというのに、一言一句聞き漏らしてはならないような気にさせられてしまう。
「現在、交渉中です」
恭しく腰を折ったルシウスからの報告に「そうか」と呟き、男は自身が座る椅子に絡みつく蛇の背を撫でた。
「早く会ってみたいものだ」
おそらく、この魔法界の命運を左右するであろう男に。
緋色の瞳を怪しく光らせ、男は大きく息を吸い込んだ。
「この俺様を欺けると思ったのか?」
本当に?
虚空に問いかけ、男は嘲笑する。
「それとも、俺様が諦めたとでも?」
男は嗤う。
かつて自身を拒絶し、見事に逃げ果せた女を思い浮かべて。
「何をするにも犠牲はつきものだ」
男は嗤う。
写真に写る一人の男子学生を見つめて。
「それを知らないお前に、俺様から逃げる術などない」
男は嗤う。
もう一枚の写真の中で朗らかに笑う、一人の女子学生を見つめて。
「そうであろう? ――シエラ」
男は、ただ嗤う。
逃げることなど赦しはしない。
そのような甘さを持っているとでも思っているのだろうか?
写真に写る二人の男女は、何も知らない。
学校という狭い世界のみで生き、外の世界を何も理解していない。
何も知らない。
何も知らないからこそ、付け入る隙がいくらでもあるのだ。
男は嗤う。
近い未来を思い浮かべて。
男は嗤う。
積年の野望が叶うその日を思い浮かべて。
ヴォルデモート卿は、ただただ嗤う。
スネイプは知らない。
ポケットに忍ばせた手紙を送る日が来ないということを。
スネイプは知らない。
既に、闇から伸びる恐ろしい手の中にいるのだということを。
スネイプは知らない。
今この瞬間、愛しい恋人がヴォルデモート卿の仕掛けた罠に嵌ってしまったのだということを。
スネイプは知らない。
永遠に続いて欲しいと願った幸せな日々が、脆く崩れ去ってしまったのだということを。