ハリー・ポッター
ヴォルデモート卿が凋落したその日、不幸にも生命を落とすことになったポッター夫妻の一人息子であり、当時たった一歳にして闇の帝王と恐れられた闇の魔法使いを凋落させた張本人である。
あれから十二年が経過し、赤ん坊だった彼は母親の妹の家に引き取られて健やかに――そう呼ぶには少しばかり環境が厳しすぎたが――成長した。あちこちに飛び跳ねるくしゃくしゃの黒髪に丸眼鏡、その顔立ちまでもが父に生き写しである。目だけは母であるリリーと同じだが、だからと言って顔の造形が変わるわけではない。どう見たってジェームズにしか見えない彼は、ジェームズを心の底から嫌悪するスネイプにとっては嫌悪の対象でしかないのだ。
反抗的な態度も不満たっぷりに睨みつけてくるその目も気に食わない。時折レンズ越しに見えるその翡翠にはほんの少しばかり心を揺さぶられてしまうのだが、それを隠すかのように更に彼に酷い罰則や言葉を与えるものだから、たった二年でハリーとスネイプの仲は自他共に『最悪』と呼べるものとなっていた。
二年。ハリーが入学したのがつい最近のことのように思えてしまう。
ハリーの入学に合わせるかのように再び動き出した『例のあの人』――ヴォルデモート卿は自身の復活とハリー殺害を企て、既に二度、失敗に終わっている。父親に似ているのかいないのか、悪運だけは強い彼の少年は今年で三年生に進級する。
長い夏期休暇を終えてホグワーツの新学期を明日に控えた夜、各学年の新学期の授業の準備を終えて自室に戻ってきたセブルス・スネイプは、思いがけない訪問者に目を見開いた。
「こんばんは」
ハリー・ポッターとそう変わらない年頃の少女が、部屋の中央に立っていた。
「何故、お前がここにいる」
問いかける声は震えていた。
”あの子は生きておるよ”
数日前ダンブルドアはそう言った。彼女が生きていると、子どもに戻っているのだと。
ずっと行方が知れなかった。ヴォルデモートが凋落した際、多くの死喰い人が逮捕されたがその中に彼女はいなかった。逃げたのだろうと思っていた。もしかしたら、もう死んでしまったのかもしれない――そう自分に言い聞かせて彼女の消息を追うことはしなかった。知りたくなかったというのが正しいだろう。
何故ならば彼女は存在しているからだ。スネイプの中に。
たとえ偽りだったのだとしても、あの幸せだった頃の記憶だけで良いと思った。あの頃の彼女が自分の中に存在している――それだけで十分だと、そう思った。
現実は過酷だ。
愛した女が去り、幼なじみは死んだ。受け入れ難いそれらから逃げるように、スネイプは益々記憶の中の彼女を想った。目を閉じれば蘇る彼女の笑顔、声、温もり――それがあるだけで生きていけると思っていた。
だと言うのに、実際にこうして目の前に彼女が現れてスネイプは揺らいでいた。
あの頃と同じ姿、同じ声で彼女はここにいる。
スネイプの目の前に。
手を伸ばせば触れられる位置に。
違うのだと、あの頃の彼女ではないのだと自分に言い聞かせてみても、揺らいでしまうことを止められない。気を緩めれば伸ばしてしまいそうな手を、拳を作ることで必死に堪えてスネイプは目の前の少女を睨めつけた。
違う。
この少女は、彼女ではない。
この少女は、裏切り者だ。
「十年以上ぶりに会ったのに、『久しぶり』の挨拶もないの?」
「そんなもの、我々の間には不要だ」
動揺を気取られぬよう毅然とした面持ちで吐き捨てると、目の前の少女は困ったように微笑む。あの頃と同じ姿で。
「嫌われてるね」
あの頃と同じ声で。
「心当たりが無いとでも?」
「まさか……ありすぎて胸が痛いよ」
それらしく振舞って見せる少女にスネイプは鼻を鳴らして顔を背けた。見たくない。記憶の中の彼女まで塗り替えられてしまいそうで怖かった。
「元気、だった?」
控えめな問いかけにスネイプは目を眇めた。その視線の先に彼女はいないが、反射的にそうなってしまうのだから仕方あるまい。そうならないはずがない。元気だったか?など、この少女に問いかける権利などありはしないのだ。
「仮に我輩が元気でなかったとして、君と何の関係があるのかね?」
すらすらと出てきた台詞は、ここ数年ですっかり染み付いてしまった教師のそれだ。冷たく突き放すような態度に少女はどんな顔をしているのだろうか。ほんの少しくらい傷ついてくれれば良いのに。そんなことを考える自分に吐き気がした。
「ないよ。何の関係もない」
ただの社交辞令だよ――そう続いた言葉に、スネイプこそが傷を負うというのに。
「今日は挨拶に来たの。明日からここに通うことになったからさ」
「何……?」
思わず振り返ったスネイプに微笑み少女がソファへと視線を向ける。ソファの脇には大きなトランクがあった。
「まさか……そのようなこと、許されるはずが……」
「ダンブルドア先生には許可をもらったよ。魔法省にも認可させた」
「!!」
信じられない。目を瞠るスネイプに、少女は変わらず微笑んだまま恭しく頭を垂れる。
「よろしくお願いします、スネイプ先生」
あの頃と同じ姿で、彼女は――ルーシー・カトレットは微笑んでいた。