25


セブルス・スネイプは嫌な奴だ。レイは思う。
そしてそれはスネイプが学生だった頃から変わらない。二十年も前から、レイはずっとセブルス・スネイプという人間が嫌いだった。

「あいつがああなったのは、お前の所為だ」

スネイプが嫌というほど自覚している事を知っている。けれど、変える事の出来ない事実だ。
ルーシー・カトレットがこんな事になってしまったのは、レイの目の前で顔を強ばらせ拳を握りしめる男の所為なのだから。

「お前があいつを連れて行かなければ、あいつはこんな事にならなかった」

だからお前が悪い。お前の所為だ。
胸の奥に燻るものを無視してレイは血の気の失せたスネイプを睨みつける。

「……分かっている」
「それなら約束しろ。これ以上、あいつに近付くな」

スネイプが何を望むかを知りながら、レイは言った。
これ以上近付くな。これ以上近付かせるな――それはルーシーの為などではない事を自覚している。

ルーシー・カトレットは特別な人間だ。それはレイにとって、というだけではない。それは彼女の血筋によるものであり、その一族の中でもルーシーは殊に特別である。だからこそレイにとって特別なのだ。
けれど、レイは知っている。彼女が自分にとってどれだけ特別な存在であるのかを。嫌というほど自覚している。だからこそ彼女が特別な想いを寄せていたスネイプが嫌いだし、そんな彼女の想いを知りながら保身の為に彼女を苦しめた事も赦せない。

”ならば、君はどうすれば満足したのかね?”

つい先日ダンブルドアに言われた事を思い出してレイは舌打ちを零す。言葉に詰まり答えられなかった己を思い出してまた舌打ち。

「お前が護るべきはハリーだ」
「分かっている」
「お前が護りたいと思うのも、ハリーだけだ」

ほら、そうやって。レイは拳を握りしめた。
護るべき相手が誰なのかを理解しているくせに。揺らぐ資格など有りはしないというのに。
先程ルーシーが去っていった戸へちらりと視線を寄越して、目を伏せる。自分に言い聞かせているのだろう。

「分かっている」

返ってきた声は、どこまでも自分を追い詰めるものでしかなかった。




遠い昔。それは遠い遠い、気が遠くなるほど遠い昔。レイは生まれた。
生まれた時から自分が何者なのかを知っていて、自分がどうすべきなのかも知っていた。それ以外は何も知らなかった。
一体いつ命じられたのかも分からぬまま、レイは人間の集落へと向かう。そこで出会ったのは綺麗な人間の女だった。腰まで伸びた銀の髪は動くたびにサラサラと流れ、見つめる瞳はルビーよりも濃く、僅かに青みがかった赤。
一族の中でたった一人、彼女だけがそうだった。彼女だけが特別だった。

”おかえり”

女はそう言ってレイを迎えた。初めて会ったはずなのに、その声はするりとレイの中に溶けて馴染んだ。あぁ、そうか。レイは理解した。この女が、そうなのだと。自分はこの女の為に生まれてきたのだと。
レイはいつも女の傍らにいた。他の魔法使いや魔女には出来ない事が女には出来た。それは人間と同じ言葉を持たない生き物と話をする事だったり、何でも思い通りのままに出来る事だったり――女はその力を憎みはしなかったけれど、自らを特別だと豪語する事もしなかった。

ある寒い日の夜、女は死んだ。あまりにも呆気なく息を引き取ったものだから、一族の誰もが困惑し動揺した。神の遣い――そんな仰々しい呼び名を付けられ、崇拝され、持て囃された女の生は、普通の人間と同じように終わった。

生命尽きるまで共にあるのだと信じていた相手が死に、レイは嘆き悲しんだ。自分がこれからどうすれば良いのか分からず、ただただ女の亡骸が埋められた墓の前でずっと語りかけた。起きてくれ、目を覚ましてくれ――レイの切な願いが天に届いたのだろうか、生まれた女の曾孫は女と同じように銀の髪と赤紫の目を持っていた。
女と同じ力を擁した曾孫は、女と同じように心優しく育った。傍らに在る事を躊躇うレイの元へ自ら赴き、安心させるようににこりと笑う。レイは理解した。こういう事なのだと。

それからレイは常に彼女達の傍に在り続けた。それが己の役割だと理解したからだ。
彼女達は何の前触れもなく生まれては呆気なく死んでいく。力さえ持たなければ、ただの人間と何ら変わらない。彼女達の誰もが優しく、また強かった。

最初の女から千年余り。女の血筋は脈々と受け継がれてきた。けれど時を重ねるごとに、代を経るごとに『女』は生まれにくくなっていった。一族の血が薄まる事が理由なのか、レイには分からない。『女』が生まれれば寄り添い、死ねばまた次を待つ。そんな事を幾度となく繰り返して、けれど五百年前に生まれた新たな『女』がその生を終えてからは新たに誕生する事はなかった。

どうして。俺はまだ生きているのに、何故。
分からなくて、レイはひたすらに『女』の誕生を待った。
時には鷹に変身し、時には猫に変身し、時には近所の老人にだって変身してその時を待った。

待って、待って、待って。けれど一向に『女』は生まれない。
口伝えに受け継がれてきた『女』の存在が徐々に消え去っていくのが分かった。ただの伝説だと、ただの法螺話だとさえ言われた。彼女が生まれさえすれば、自分はすぐにでも駆けつけるというのに。無情に時が流れ、レイだけが取り残された。

そして、生まれた。
漸く、生まれた。

生まれた『女』は力を持っていた。レイが待ち望んだ相手である事は間違いなかった。
嬉しくて。とても嬉しくて。彼女の両親や祖父母が驚くのも構わずに駆けつけて。レイはそれからずっと『女』の――ルーシー・カトレットの傍らに在り続けた。

最初の『女』はとても特別で、それからの彼女達も皆、特別で。
けれど、ルーシーは。レイが長きに渡り待ち続けたルーシーは。独りぼっちだったレイを救ってくれたルーシーは、もっと。
この上ないほどに特別なのだ。

「あいつ以上に大事なモンは、俺にはない」

長きに渡り生きてきたこの世界よりも。
この地上に生きるどの生物よりも。
ルーシー・カトレットこそが、レイの唯一であり、絶対だ。

「魔法界がどうなろうが、ハリーがどうなろうが、俺はどうだっていい」

そう、どうだって良いのだ。だってレイの大事なものではない。
けれど、ルーシーが。レイが唯一と想うルーシーが、それを大事だと思うから。

スネイプに恋をして、傷ついて、苦しんで。
友人達を助けようとして、助けられなくて、また傷ついて、苦しんで。

もう止めてしまえば良いのに。もう諦めてしまえば良いのに。
思ってもレイは止めない。止められない。レイの『絶対』がそれを望むからだ。

「……俺はあいつを救えない」

どんなに止めたいと願っても、それをする事は出来ないから。
彼女が望む言葉しか言ってやれない。彼女が望むことしかしてやれない。
未だ瞼の裏に焼き付いて離れない光景に眉を寄せ、拳を握りしめる。

知っている。レイはずっと知っている。
ルーシーを救えるのが誰なのか。傷を癒せるのが誰なのか。
彼女の望む言葉を吐くだけの自分では駄目なのだ。彼女の望みを叶えるだけの自分では駄目なのだ。

たった一人。
腹立たしい事に、この男だけが。

けれどレイは知っている。嫌というほど知っている。
この男がルーシーの傷を癒す日など、永遠に来やしないという事を。
この男が選んだのは、ルーシーではなかったのだから。

「お前がいくら後悔していようが、あいつを護りたいと願っていようが、俺は認めない。お前はあいつを選ばなかった。自分の気持ちの整理すらつけられない奴に、任せられるはずもない」

男の目に映るのはルーシーではない。
あの頃からずっと――ルーシーと出会う前からずっと、男が見ているのはただ一人なのだから。