ハリーとロンが一通りの自己紹介を終えた頃、コンパートメントの戸が開いて一人の少女がひょっこり顔を出した。
「一緒に座っても良い?」
向かいに座るロンを見れば、ロンは構わないと言うようにニッと笑う。いいよ。ハリーが答えると、嬉しそうに顔を輝かせた少女は安堵した様子で中に入ってきた。
「ありがとう! 明らかに上級生っぽい人達がいる所はいくつか空いてたんだけどさ、何か入って行きづらくって。あ、私ルーシー・カトレット。二人は?」
「ロン・ウィーズリー」
「ハリー・ポッター」
ロンに続いて自らの名前を言うと、ルーシーはへらりと笑ってロンの隣に座った。「二人とも新入生?」と聞かれてハリーは咄嗟に頷く。ロンが驚いたような顔でルーシーを見た。
「君、ハリーのこと知らないの?」
「んん? え、いや……あ、ごめん。もしかしてポッター家って名家だったりする? 私そういうの全然分からなくて――」
「違うよ。ハリー・ポッターだよ。ほら……『例のあの人』の………」
「え、誰?」
信じられない。口には出さなかったがロンの顔にはそう書いてあるようにハリーには見えた。魔法界の人間ならハリーを知らない人はいないとハグリッドは言った。現にロンも知っていた。それならば、答えは一つだ。
「君もマグル生まれなの? 僕もマグルの中で育ったんだ」
「マグル? 違う違う、ちゃんと魔法使いだよ。多分」
「多分?」
「パパとママはいないんだ。親戚のおじさんが育ててくれたの」
魔法使いだよ。そう付け足したルーシーは、山奥に住んでいたから外の事は何も知らないのだと笑った。魔法に触れながら育ってきたにも拘らず、魔法界の事を何も知らないなんて。けれど、それよりも。
”パパとママはいないんだ”
ハリーは少しだけ嬉しくなった。自分だけじゃない。
ホグワーツ特急が発車して暫く経った頃、車内販売がハリー達のコンパートメントに回ってきた。マグルの世界ではお目にかかれないような不思議なお菓子ばかりだ。今までは自分のお金など持っていなかったハリーだが、本当の両親がグリンゴッツ銀行に遺しておいてくれたお金が沢山ある。ダイアゴン横丁で引き出したお金はまだたっぷり残っているし、ハリーの行動を咎める意地悪な伯父、伯母はいない。
ふと、ハリーはロンが拗ねたような顔で溜息を落としている事に気が付いた。家から持ってきたというサンドウィッチを取り出してみせるロンが羨むようにお菓子の載ったカートへ視線を送る。そしてまた溜息。ハリーにはロンの気持ちが痛いほどよく分かった。
「ぜーんぶ頂戴!」
勢いよく立ち上がり、ポケットから取り出した金貨を見せると販売員のおばさんは驚いた顔をした。けれど何も言うことなくハリーの言う通り全種類のお菓子を寄越してくれる。お金はだいぶ使ってしまったが、これでお腹いっぱいお菓子が食べられる。友達になったロン、ルーシーと三人で食べたらきっと美味しいに決まってる。
「僕一人じゃ食べきれないよ! 一緒に食べてくれる?」
唖然とするロンとルーシーに言うと、二人は顔を見合わせてから嬉しそうに笑い返してくれた。
魔法界のお菓子は不思議なものばかりだった。動き出す蛙チョコに、誰が好むのかも分からない味が沢山ある百味ビーンズ。かぼちゃジュースを飲み干したハリーは、つい先程チョコの景品として当たったカードを手に取った。長い白髪にこれまた長くて白い顎髭を蓄えた老人がハリーに向かってにっこり微笑んでいる。アルバス・ダンブルドア――これからハリーが通うホグワーツの校長をしている魔法使いだ。
「ロン、そのサンドウィッチ食べないならもらっても良い?」
「良いけど……でも、これパサパサしてるんだ。その、ママは忙しくて……」
視線を逸らしたままモゴモゴと話すロンなどお構いなしに、ルーシーがサンドウィッチを取った。「あ」ロンが声を上げる間もなく大きく口を開けて頬張る。
「んまーい!」
「で、でも、あの……パサパサしてない?」
「んーん、美味しい! ――あ、食べたかった!?」
食べかけのサンドウィッチを差し出すルーシーにロンが慌てて首を振る。食べていいよ。ロンの言葉にルーシーが嬉しそうに笑い、またサンドウィッチを頬張った。余りにも美味しそうに食べるルーシーに、ハリーは我慢出来なくなって口を開いた。
「僕にも一つくれる?」
「いいよ。はい」
「ありがとう」
受け取ったサンドウィッチを頬張り、ハリーはチラリとルーシーを見た。普通の味だ。何か特別な味付けがしてあるのかと思ったが別に何もない。ロンの視線がこちらに向けられていることに気付いたハリーは慌てて「美味しい」と笑ってみせた。ロンの言う通り、少しだけパサパサしていると思った。
夢中でお菓子を食べていると、コンパートメントの窓から誰かが覗きこんでいる事に気付いた。情けなく眉を下げて泣いている少年と目が合うと、少年はおそるおそる戸を開けて中に入ってくる。
「ごめんね、僕のヒキガエル見なかった?」
ハリー達が首を横に振ると、少年はぽろぽろと涙を流して泣きだした。いなくなっちゃった。少年はか細い声で絞り出した。
「いつも僕から逃げるんだ」
「きっと出てくるよ」
励ますようにハリーが言うと、少年は力なく頷き、見かけたら教えてくれと言い残して去っていった。
「僕だったら、ヒキガエルがいなくなったらむしろ嬉しいけどな。ほら、見てよ僕のペット……兄さんのお下がりなんだ、スキャバーズって言うんだよ」
「生きてるの?」
「うん。けど、死んだって見分けがつかないよ」
ひたすら眠り続けるネズミを見てルーシーがぬいぐるみかと思ったと笑う。ロンはうんざりしたように杖を取り出した。
「黄色に変える呪文を教わったんだ。ほら、見てて――」
まさに呪文を唱えようとしたその時、再びコンパートメントの戸が開いた。栗色の髪をふわふわと靡かせた、少しばかり前歯の大きい女の子だ。その後ろには、ついさっき出て行った泣き虫な少年がいる。
「誰かネビルのヒキガエルを見なかった?」
「見なかったってさっき言ったよ」
ロンが答えたが、少女が聞いていたかどうかは定かではない。少女の目はロンの杖とヒキガエルに釘付けになっていたからだ。
「魔法をかけるの? それじゃ、見せてもらうわ」
威張ったような話し方をする子だとハリーは思った。僅かに緊張の色を滲ませたロンが咳払いをして杖を握りしめる。膝の上で眠るネズミに杖先を向けると、大きく息を吸い込んだ。
「お陽さま、ヒナギク、蕩けたバター。デブで間抜けなネズミを黄色に変えよ!」
ロンが杖を振るが、しかし何も起こらない。あれ?と呟いたのは誰だっただろうか。相変わらずロンの膝の上で眠るネズミと杖とを交互に見てロンは顔を顰めた。
「その呪文、間違ってないの? あまり上手くいかなかったわね。私も家で沢山練習したけど、どれも上手くいったわ。私の家族に魔法族は誰もいないの、だから手紙をもらった時とても驚いたわ。教科書は全部暗記したけど、それだけで足りるかしら……」
ペラペラと喋り続ける少女に、ハリーはぎくりとしてロンとルーシーを見た。ロンもルーシーも唖然とした様子で少女を見つめている。あぁ、良かった。暗記していないのは自分だけではないらしい。
「私、ハーマイオニー・グレンジャー。貴方達は?」
「ロン・ウィーズリー」
「ハリー・ポッター」
「本当に?」
口を開けて名乗ろうとしていたルーシーを遮ってハーマイオニーがハリーを見つめた。その目が額に移ると感嘆の息を漏らす。ロンの横でルーシーが頭を掻いているのが見えた。
「私、貴方の事全部知ってるわ。参考書を二、三冊読んだの。貴方の事が本に書いてるのよ」
「僕が?」
「知らなかったの? 私が貴方だったら、出来るだけ全部調べるけど。皆、どの寮に入るか分かってる? 私、色んな人に聞いて調べたけど、グリフィンドールに入りたいわ。絶対一番良いみたいだし、ダンブルドアもそこの出身だって聞いたわ。でもレイブンクローも悪くないわね――とにかく、もう行くわ。ネビルのヒキガエルを探さなきゃ。三人とも着替えた方が良いわ、もうすぐ着くはずだから」
まるで嵐のようだとハリーは思った。ハーマイオニーがネビルを連れて去って行くと、コンパートメントには何とも言えない空気が漂う。誰もが同じような顔をしていた。
「………名前言えなかった」
ハーマイオニーの意識がハリーに向いてしまった所為だろう。気まずさに乾いた笑いを漏らしたハリーは、場の空気を変える為に立ち上がりトランクから制服を引っ張りだす。ロンもルーシーも立ち上がり、それぞれ制服をトランクから引っ張りだした。
「外に出てるね」
そう言ってルーシーがコンパートメントの外に出ると、ハリーとロンは急いで制服に着替え始めた。
「何でも良いけど、さっきの子と同じ寮じゃないのが良いな」
「君のお兄さん達はどこの寮なの?」
「グリフィンドール」
答えたロンが大きな溜息を漏らす。ハーマイオニーが入りたいと言っていた寮だ。
「パパもママもそうだったんだ。もし僕だけそうじゃなかったら……レイブンクローはそこまで悪くないけど、もしスリザリンなんかに入れられたら――」
最後まで言えずにロンは身震いをした。
「そこって『例のあの人』がいた所?」
「そう。――ルーシー、良いよ」
ルーシーと入れ違いに外に出たハリーとロンは、戸に背を預けて窓の外を眺めた。ルーシーはすぐに着替えを終えてハリー達を中に呼んでくれた。ロンの兄達の話を聞いたり、クィディッチの話を聞いたり――友達と話をするのがこんなに楽しいだなんて知らなかった。