最初のホグズミード休暇を週末に控えた水曜日の夜、ルシウス・マルフォイから手紙が届いた。封の切られていない手紙を見つめながらスネイプは彼女はどうしたのだろうかと考える。
同室の者たちを起こさないように部屋を出たスネイプはその足で必要の部屋と向かった。透明マントに身を隠して廊下を進み、目的の部屋の前で立ち止まるとやがて現れたドアに急いで身を滑り込ませる。ドクドクと煩い心臓の音に急かされながら封を切る手は震えていた。
手紙にはただ一言だけあった。
”週末、ホグズミード村の外れの宿で待つ”
あぁ、やはり。口から漏れた息は一体どこからきたのだろうか。これを望んでいたはずだ。嬉しいと思うのに、同時に落胆している自分もいる。それに、これが自分に届いたということはルーシーにも届くはずだ。もしかしたらもう届いているのかもしれない。――彼女は一体どうするのだろうか。
そんなことを考えながら手紙を凝視していると、不意に手紙の下部がジリジリと焼け焦げていった。文字だ。追伸の一文を読んでスネイプの息は今度こそ止まった。
”彼女を連れて来るのを忘れずに”
思わず手のひらで顔を覆う。食い縛った歯の隙間から漏れ出る呻き声が煩わしい。よりによって。よりによってこの僕にそれを言うのか。スネイプにルーシー・ポッターを連れて来いだなんて余りにもあんまりではないか。
”癒者にね、なりたいんだ”
照れ臭そうに笑う姿が浮かぶ。畜生。
どうしてこんなに悔しいのかスネイプには分からなかった。
あっという間に金曜日がやって来た。
手紙のことを言い出せないまま来てしまったが、明日はもう土曜日。結論を出さなければ。
ずっと考えていた。手紙のことを話したら彼女はどんな顔をするだろうか。スネイプが一緒に来いと言えば彼女はそれに従うのだろうか。自分可愛さに逃げようとするだろうか――答えは否だ。あのお人好しがそんなこと出来るはずがない。これがスネイプ以外の誰かであったならばその可能性もゼロではなかったが、ルーシー・ポッターがセブルス・スネイプを見捨てて一人で逃げるとはどうしても考えられなかった。
あの時、彼女は逃げなかったのだから。
「スネイプ、どうしたの?」
ひょっこり現れた顔に思わず顔を顰める。その顔をやめろ。口をついて出たそれにルーシーが口をひん曲げた。拗ねたような口ぶりで「心配してるのに」なんて零す彼女に溜息。いっそ心配なんてしないでくれたら良いのに。
「ここのところずっと難しい顔してる」
「……そんなことない」
「あるよ。…………来たんでしょう?」
息が止まったのは一瞬だったのに、ルーシーはその一瞬を見逃してはくれなかった。顔を背けるスネイプに突き刺さる視線。観念してそちらを見れば真っ直ぐにこちらを見る榛とかち合った。
「…………どうしてそう思うんだ?」
「マルシベールから聞いたの。スネイプにも同じ手紙が届いてるって……私宛ての手紙がないのなら、スネイプへの手紙に書いてあるはずだって」
余計なことを。すぐそこまで出かかった文句を呑み込んでスネイプは深く息を吸った。こんなに必死に隠していた自分が馬鹿みたいだ。ポケットの中から皺のついた手紙を取り出すとルーシーの手が躊躇いがちに受け取る。嫌なくせに。震えているくせに。去勢を張って手紙を開いたルーシーの顔が歪んだのをスネイプは見た。だから見せたくなかったんだ。
「行くの?」
囁くような問いかけだった。微かに震えた声がルーシーの緊張ぶりを嫌というほど教えてくれる。答えに迷ったスネイプは、それでも最後には頷いて自身の考えを伝えた。
「僕は、もっと力が欲しい」
誰にも負けない力が欲しい。ポッターにもブラックにも負けない強さが欲しいのだ。強くなりさえすれば、離れていった彼女だって見直してくれるかもしれない。大切なものを失わずに済むかもしれない。強さを手に入れることが出来れば――。
「…………そっか」
「お前は……どうするんだ?」
聞く必要なんてなかった。だってこれは命令だ。ルシウスから――ヴォルデモートからスネイプへの最初の命令。「ルーシー・ポッターを連れて来い」と言っているのだから、彼の下につくことを望むスネイプにはそれ以外の選択肢など持っていないのだ。
たとえ心が軋もうとも。胃の中に鉛を押し込まれたような気分になろうとも。握りしめた手のひらに血が滲もうとも、叫び出したい衝動に駆られようとも、スネイプにはどうする事も出来ない。
「行くよ」
彼女が何故そう答えたのか分かっているのに、謝ることも出来ない自分の臆病さに吐き気がした。
土曜日、ルーシーはスネイプと共にホグズミードへ向かった。久しぶりのホグズミード休暇に喜ぶ生徒たちに混ざって歩くルーシーとスネイプの表情はいつもと変わらない。「インクを買い足さなきゃ」だとか「この間買った羽根ペンは外れだった」だとか。いつもと変わらない会話をしながら二人は店が建ち並ぶ通りを歩いていった。
「あ」
思わずといった様子で漏れた声が聞こえて顔を向ける。友人達に囲まれたジェームズと目が合った。隣でスネイプが舌打ちをしたことに気付いたが、足早にこちらへやって来るジェームズを無視して歩き出すことはさすがのルーシーにも出来なかった。
「その、久しぶり」
「……うん」
ぎこちない挨拶に顔を俯かせながら返事をする。ジェームズと関わる気はないという意思表示のつもりだろうか。こちらに背を向けるスネイプに心の中で「裏切り者」とぼやくと名前を呼ばれた。咄嗟に顔を上げると泣きそうな顔で笑う双子の兄がそこにいる。
「良かったら一緒に回らない?」
「…………友達と、回るから」
ぼそぼそと返してスネイプの上着の裾を掴む。スネイプが歩き出してくれれば自分も進めるのに、なんて考えていると「じゃあ!」ジェームズが食い下がってくる。
「次は? 次のホグズミード休暇。一緒に回ろう」
「次のホグズミード休暇は行かないよ」
「どうして? 予定がないなら僕と――」
「二日前だから……だから、外には出れないの」
ちらりとルーピンを見遣ると顔を強張らせるルーピンと目が合った。しまったと思い、すぐに顔を俯かせて「じゃあね」と口早に告げる。
「スネイプ、行こう」
「……引っ張るな」
腕を掴んで歩き出すルーシーにスネイプが嫌そうに返す。それでも振り払おうとしないでくれることがありがたかった。ジェームズが追って来ていないことを確認して深く息を吐き出す隣でスネイプが鼻を鳴らしている。
「気持ち悪い」
「お父さん達が死んでからずっとあんな感じなの……」
休みの間は辛かった。それでもホグワーツ特急で別れてからは関わらずにいてくれたのに、どうして今になって。溜息を落とすルーシーにスネイプが「気付いてるんだろうさ」と告げる。
「誘われてないか確認したかったんだろ」
「あぁ…………そっか」
スネイプの言う通りかもしれない。たった一人の家族の進路を気にすることはおかしなことではない。ジェームズは卒業後に不死鳥の騎士団に入るのだ。自分の妹が闇の魔法使いになるなんて絶対に阻止したいことだろう。
「…………戻りたいか?」
静かな声に振り返ればスネイプがじっとこちらを見つめている。ここで断れば失神呪文でもかけられるのかもしれないなんて考えながらルーシーは笑った。
「行くよ」
さらりと返した言葉にスネイプは何を思ったのだろうか。唇を引き結んで前を見たスネイプは「そうか」と呟くともう何も言わずに歩き続けた。
楽しそうな生徒たちで賑わう大通りから路地裏へと回り、周囲に誰もいないことを確認してルーシーとスネイプは透明マントを被った。ルシウスから指示された場所へ向かう足取りは酷く重い。歩調を合わせてくれているのか、それとも同じ気持ちなのか。ルーシーに合わせてゆっくり歩いてくれるスネイプをちらりと盗み見たけれど、その表情から感情を読み取ることは出来なかった。
村の外れまでやって来た二人は一軒の宿屋の前で足を止めた。ルシウスは他に誰を呼んだのだろうか。隣でスネイプが透明マントを脱ぐのに倣うと、目の前の光景がぐにゃりと歪んでマルシベールとエイブリーが姿を現した。
「ほら、言った通りだったろう?」
勝ち誇ったような笑みのマルシベールがエイブリーに言う。エイブリーが悔しげに銀貨をマルシベールに渡したのを見てルーシーは顔を顰めた。彼らはルーシーのことで賭けをしていたのだ。向けられる視線から逃れるようにそっぽを向くと、くつりと笑ったマルシベールが懐中時計を取り出した。
「時間だ」
呟いて歩き出すマルシベールに続く。何も言わないスネイプの表情はやはり何も読み取れず、いつものスネイプの方が良いなとルーシーは思った。マルシベールの案内でやって来た薄汚い雑貨屋には品物が殆ど何もなかった。これで店なのかと店内を見回していると「これだ」マルシベールの声がルーシー達を呼ぶ。台の上には銀製のゴブレットが一つ置いてあった。
「ポートキーを使ったことは?」
問いかけに頷いた者はいなかった。数えて同時に掴むのだとマルシベールが教えるとすかさずエイブリーが「使い方くらい知ってる」と噛みつく。無知と思われたことが嫌だったのだろう。
「数えるぞ。一、ニ、三!」
ルーシーとスネイプは同時に手を伸ばしてゴブレットを掴んだ。咄嗟にスネイプの服にも手を伸ばしてしまったのは、臍から引っ張られる感覚に襲われると同時に遠い昔クィディッチのワールドカップを観に行くために使った時のことを思い出してしまったからだ。決して離すまいとスネイプにしがみついていると、どすん。強い衝撃と共に体が地面に受け止められた。あちこちで呻き声が聞こえる。
「い、たい……」
「…………帰りもこれを使うのか」
大きな溜息と共に零れたスネイプの愚痴を窘める者はいなかった。