必要の部屋


泣きながら教室を飛び出していったリリーの姿が扉の向こうに消えた。
その途端、ルーシーの大きな大きな溜息が教室に落ちる。

「ごめん、私のせいで……」

小さな小さな謝罪の言葉にスネイプは何も返さなかった。
またリリーを怒らせてしまった。しかも、今回は泣かせてしまったのだ。

「理由……ちゃんと言えば良かったかな……」

そう零したルーシーの声は諦めが滲んでいる。ルーシー自身も分かっているのだろう。
誰が好んで言うというのだ。寮の上級生達に襲われたなんて言えるはずないではないか。理由が双子の兄で、その兄も妹が襲われる可能性を知りながら放置しただなんて、そんなこと言えるはずがない。
だからスネイプも言わなかった。言ったらまた面倒になると思ったし、そんなことを聞いたリリーがスリザリンの上級生達に食ってかかったりしたら目も当てられない。
だからこそ口を噤んだのだが、結果として誤解したリリーを泣かせてしまった。

溜息が漏れた。ルーシーの「ごめん」という小さな謝罪が耳に届く。

「……リリーの教科書、どうしようか」
「……僕達が行ったって会ってくれないさ」

次の薬学の時間まで教室に保管しておいてもらう事にしよう。それで、明日辺りにふくろう便で教室に保管してあると手紙を送れば良いだろう。今は極力リリーと接触しない方が良いはずだ。これまで何度となく闇の魔術の件でリリーとぶつかってきたスネイプはそう考える。それをルーシーにも伝えれば、間を置いてから小さな了承の返事が返ってきた。

「それで、どうするんだ?」
「え?」
「もう止めるのか?」

先程の続きをしないのかと問いかければ、何とも言えない複雑な顔をしたルーシーがスネイプを見る。

「スネイプって、図太いんだか繊細なんだか分からないよね」
「次は実戦形式にしても良いんだぞ」
「それはやだ。ごめん、もう一回お願いします」

杖を振ってリリーの教科書を戸棚にしまい、使われなかった鍋達を元の場所へ戻す。
今度は誰にも邪魔されないように施錠をしよう。扉の鍵がかかったのを音で確認してスネイプは杖を振り上げた。




ルーシー・ポッターは優秀だ。
入学当初から成績優秀で、上級生になってから覚える魔法だって知っていたし、魔法薬だって難しいものを一人で作れていた。そんな彼女は、スネイプが教える闇の魔術をみるみるうちに習得していった。

「これで一通りは終わったな」
「本当?」
「これ以上のものを知っている者は上級生でもそうはいないはずだ」
「それなのにスネイプは知ってるんだ」

どうやって覚えたのかと問われたから、母の本を読んだと返したら難しい顔をされた。

「そんな危険な本を手の届く所に置いておいたの?」
「保管場所は知っていたからな」
「怪我とかしなかったの? 呪いのかかった本とかなかった?」
「治癒の呪文も本にあったし、傷薬はいつも持っていた」

この話は終わりだと続ければ、ルーシーはもうそれ以上何も聞いてはこなかった。
自分の話をするのは苦手だ。ホグワーツに来る前のことは正直思い出したくはない。どうしたって父は好きになれなかったし、母のことも好きかと問われると微妙なところだ。ただ、母の血だけは好きだ。純血主義のこの寮では、半純血である自分の居場所は自分で見つけなければならない。闇の魔術はスネイプにとってこの寮で自分の居場所を見つけるためのものでもあった。

「じゃあ、今度は反対呪文だね」
「簡単に言うが、新しく魔法を作るのは難しいんだぞ」
「分かってるよ。でも、手伝ってくれるんでしょう?」
「……別に、僕は反対呪文を知らなくても困らないが」
「ずっと私と一緒にいてくれるんだから、知ってないといざって時に困るよ」

それだって僕が望んだことじゃない。吐き捨てようとして、ルーシーを見て。スネイプは口を噤んだ。
こうして行動を共にするようになって一年と少し。それなりに自分にも利があるからと一緒にいるが、だからと言って彼女が友人かと聞かれたら”NO”と答えるだろう。勉強仲間――それが一番しっくりくるかもしれない。

「”セクタムセンプラ”の反対呪文もまだ途中なんでしょう? それを一番先にしよう」
「どうして?」
「治癒魔法も薬も効かないんじゃ使えないよ。それに、スネイプだって言ってたじゃん。敵にこの魔法が知られた時の為に、反対呪文は必要だって」
「それはそうだが…」
「それに、私は嫌だよ。敵でも味方でも……死ぬのは、嫌だ」

死ぬのは、嫌だ。そう言ったルーシーの顔が、あまりにも悲しげだったから。まるで、死をたくさん見てきたかのようにいうから。『死』というものをスネイプより遥かに理解しているように見えたから。

「…………分かったよ」

スネイプは小さな小さな了承を返した。
ホッと安堵の息を漏らすルーシーの顔が、何故だか網膜に焼き付いた。

五年生はOWL試験を受けることが義務付けられている。おかげでこの一年は勉強尽くしだ。これまでは違ったのかと言われると、そんなことはないのだけれど。思い返せば自分達はずっと勉強し通しだ。他にすることがないというのも事実だけれど、ただ単に新しいことを吸収するのが楽しいというのもある。ルーシーに至っては、学ばなければ文字通り”身の危険”なのだから仕方がない。
それでも、さすがに五年生の殆どが集まる図書室に篭っていては息が詰まるのも事実で。

「私、いいところ知ってる」

そんなルーシーの胡散臭い言葉に大した抵抗もせず後をついて行ったのも、気分転換になるだろうと思ったからだ。

「……どうやって見つけたんだ?」

ゆったりとした革張りのソファに、図書室にあるのと同じ大きな机。壁に寄り添うように立つ本棚には、ついさっきまで勉強していた変身術に関する書物が並んでいる。部屋はそこそこ広く、ここなら快適に勉強出来るだろう。

突然ついて来てと言われて、八階まで上らされて。廊下のど真ん中で立ち止まったルーシーに「ちょっとそこで待ってて」と言われるままに立ち止まっていると、ルーシーがスネイプの目の前の通路を往復しだした。こいつ、勉強のしすぎでおかしくなったのではないだろうか――そんなことを考え始めたスネイプの目の前で、何の変哲もない石壁に突如として扉が現れた。
驚く間もなく「誰も来ないうちに入って」と押し込められた先が、今スネイプが立っているこの快適な空間である。

一体どうして。どうやって。この部屋は何なんだ。動揺を隠せぬまま矢継ぎ早に問いかけたスネイプに、けれどルーシーはこてんと首を傾げて困ったように笑うだけ。

「言わなきゃダメ?」

じとりと視線を向けて、溜息。別にいい。答えたスネイプにルーシーは「ありがとう」と笑った。

「あ、でもこの部屋のことなら教えてあげられるよ。必要の部屋って言って、入り口はさっきのところ。部屋の目的を思い浮かべながら歩き回ってたら扉が現れるの」
「誰かに聞いたのか?」
「スネイプとしかいないのに、誰に聞くの」

笑うルーシーに、それもそうかと頷いて。それはおかしいだろうと気付く。けれど問い詰めようにも「別にいい」と答えてしまったばかりだ。大きな疑問を抱きながらも、答えを望まないと答えてしまったスネイプは蟠りを自分の中に燻らせたままソファに腰を下ろした。見た目以上にふかふかのソファに思わず顔を綻ばせると、こちらを見ていたルーシーとばっちり目が合う。慌てて咳払いをして誤魔化したが、おそらく見られたのだろう。何も言わずにいてくれるのはルーシーの優しさなのだろうが、何とも居た堪れない。

「ここなら呪文も使い放題だから、実技の練習も出来るよ」

言うなりルーシーが杖を振る。
いつの間にか部屋の隅に現れたクッションの山からクッションが浮かび上がり、スネイプの方に向かって飛んできた。咄嗟にそれを掴むと、ナイスキャッチと笑ったルーシーがまた杖を振る。もう一つクッションが飛んできてスネイプの隣にぽすんと落ちた。

「今度来る時は、厨房から食べ物とかもらって来ようか」
「厨房の場所も知ってるのか?」
「うん」

つくづく妙な奴だとスネイプは思う。
この一年でそれなりに慣れたと思っていたが、まだまだだったらしい。

「誰にも内緒にしてね」

ふと、兄の方は知っているのかと尋ねようと思ったけれど、ルーシーの表情を見て思い留まる。
図書館での勉強は嫌いではない。けれどそれは平時のことで、五年生の殆どが――ジェームズ・ポッターが図書室にいる時に限っては例外である。それはスネイプにも言えることだけれど、精神面で考えればルーシーの方が辛かったのだろう。

「毎回、誰にも見られずに来るのは難しくないか?」
「そうだよね、そこはちゃんと考えないと」
「透明マントでも作るか」

鞄から引っ張り出したマントに透明呪文をかけて即席の透明マントを作ってみせると、名案だと笑ったルーシーもスネイプに倣う。扉が現れるのを隠すことは出来ないけれど、自分たちの姿くらいは隠した方がいい。お互いにマントを羽織って完全に姿が消えている事を確かめ合うと、何だか悪いことをしているような気がして少しだけ笑みが漏れた。

「スネイプって、実はそんなに真面目じゃないよね」
「僕のどこを見てそんなことを言うんだか」

すらりと出てきた軽口に驚いたのはスネイプ自身で、けれどこれも悪くないなとすら思ってしまう。
大嫌いな男の妹なのに。顔までそっくりなのに、今ではジェームズとルーシーの共通点を探す方が難しいとさえ思えてくるのだから不思議だ。

「お前こそ、真面目でも何でもないだろ」
「私のどこを見てそんなことを言うの?」

肩を震わせながら返された声は、辛うじて聞き取ることが出来た。よく笑う奴なのだと知ってから一年と少し。改めて思う。ルーシーとジェームズは似ていない。顔はこんなにも似ているというのに、笑い方が全然違うのはスネイプが知っているジェームズの笑顔が『敵』に向けたものだからなのだろう。彼の友人に向ける笑顔など、見たくもないのだけれど。

「もうすぐOWL試験だね」
「ルーン文字学が心配か?」

他の教科はどれも最高得点を叩き出しているというのに、ルーン文字学だけは成績が振るわない。相性が悪いと零した彼女の苦い顔は、まるで苦手な食べ物を前にした子どものようだなんて思ったのも一年前のことだ。

「分かってるなら助けてよ」

唇を尖らせるルーシーがルーン文字学の教科書を鞄から引っ張りだすのを尻目に本棚を見ると、変身術に関する書物が瞬きの間に全てルーン文字学に関する書物へと変わっていた。本当に不思議な部屋だ。こんなにも便利な部屋があったのなら、もっと早くに知りたかった。

こんな隠れ家があるのなら、一年前に助ける必要はなかったのではないだろうか。そんな事を考えたのは一瞬で、スネイプはすぐにその考えを打ち消した。

今のこんな状態も悪くはない。

12.崩れ去る